今年(2023年)は、詩人草野心平の生誕120周年にあたるメモリアルイヤーとのこと。筆者の敬愛する作曲家多田武彦には草野心平の詩より数多くの名曲が生まれている。詳細については、こちらのサイトが大変参考になります。いつも大変お世話になっております。 また、筆者の所 ...
カテゴリ:記事(詩人) > 中原中也のはなし
私が歌う理由は、縦の糸と横の糸がおりなす音楽。の段
大きな見出しをつけてしまって後悔してしまったが、筆者の所属する男声合唱団タダタケを歌う会の演奏会の余韻が冷めやらぬうちにということでひとつご容赦を。私が合唱、とくにタダタケを歌う理由は取り上げられている詩との出会いとそれが曲となってつくりあげられる音楽に ...
タダタケを歌う会の次の演奏会にむけての段
筆者の所属する男声合唱団タダタケを歌う会が次に取り組む2つの組曲は、『中原中也の詩から』と『尾崎喜八の詩から』である。詩人及び組曲の詳細についてはいつもお世話になります多田武彦〔タダタケ〕データベースが大変参考になります。 先日の練習でステージ順が執行部よ ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「六月の雨」のこと
さて、中原中也である。組曲5曲めである。「六月の雨」 中原中也 またひとしきり 午前の雨が菖蒲のいろの みどりいろ眼うるめる 面長き女たちあらはれて 消えてゆくたちあらはれて 消えゆけばうれひに沈み しとしとと畠の上に 落ちてゐるはてしもしれず 落ちて ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「雲雀」のこと
さて、中原中也である。組曲4曲めである。この「雲雀」が収められている詩集『在りし日の歌』の正式名称は『在りし日の歌 亡き児文也の霊に捧ぐ』(創元社、1938年)である。この詩集の中で「雲雀」の一つ前に収められているのが「春と赤ン坊」である。「春と赤ン坊」 ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「間奏曲」のこと
中原中也、激動の人生。1907年 山口県に生まれる。1923年 女優の長谷川泰子と知り合う。1924年 長谷川泰子と同棲。1925年 3月長谷川泰子とともに上京。 4月小林秀雄と知り合う。 11月長谷川泰子、小林秀雄の許に去る。1937年 ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「汚れつちまつた悲しみに」のこと
さて、中原中也である。組曲2曲めである。「汚れつちまつた悲しみに……」 中原中也汚れつちまつた悲しみに……汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる汚れつちまつた悲しみに今日も風さへ吹きすぎる汚れつちまつた悲しみはたとへば狐の革裘汚れつちまつた悲しみ ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「北の海」のこと
さて、中原中也である。組曲1曲めである。「北の海」 中原中也海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。海にゐるのは、あれは、浪ばかり。曇った北海の空の下、浪はところどころ齒をむいて、空を呪つてゐるのです。いつはてるとも知れない呪。海にゐるのは、あれは人魚 ...
中原中也と尾崎喜八という2人の詩人のこと
筆者の所属する男声合唱団タダタケを歌う会が次に取り組む2つの組曲は、『中原中也の詩から』と『尾崎喜八の詩から』である。 詩人及び組曲の詳細についてはいつもお世話になります多田武彦〔タダタケ〕データベースが大変参考になります。 あらためて組曲の構成を確認してみ ...
詩人の涙~『中原中也の詩から』など~
今年(2020年)の7月にテノール歌手である永田峰雄さんの訃報に接し、久しぶりに愛蔵盤を引っ張り出して聞き入っている。合唱名曲コレクション26柳河風俗詩(東芝EMI)慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と永田さんの独唱による『柳河風俗詩』と『草野心平の詩から ...
中原中也『在りし日の歌』の中の「また来ん春」のことその弐
出張や旅で日本各地に行くとき、見知らぬ土地で図書館に行くのが好きである。どの図書館に行っても、まず目指すのはいわゆる日本十進分類法の911の棚「日本文学の詩歌」である。日本十進分類法(NDC)についてはこちら(日本図書協会のHP)。 どこの図書館でも必ずある ...
人はみな旅人である。しかし時には原点に立ち戻る勇気も必要ということその肆~休止宣言~
諸般の事情により、拙ブログを無期限休止いたします。読者の皆様には、ながらくのご愛顧誠にありがとうございました。もし環境が許せば、また書き続ける日がくると信じております。最後に、筆者の座右の銘(詩)を2つ。恐らく多田武彦の曲にはなっていないとおもわれますが ...
中原中也『冬の日の記憶』の中の「冬の長門峡」のこと
山口県山口市阿東地区の名勝である。NPO法人あとう観光協会HPに、詳しい情報がある。http://www.ato-kankou.org/View/Choumonkyo/この詩の詩碑がたっているようだ。1936年11月。最愛の長男文也2歳にて病没。30歳で夭折した中也の人生で7人目の親族との死別体験。「冬の長門峡 ...
中原中也『中也の海衣』の中の「海は、お天気の日には」のこと
「海は、お天気の日には」 中原中也海は、お天気の日には 海は、お天気の日には、綺麗だ。海は、お天気の日には、金や銀だ。それなのに、雨の降る日は、海は、怖い。海は、雨の降る日は、呑まれるやうに、怖い。ああ私の心にも雨の日と、お天気の日と、その両方がある ...
中原中也『冬の日の記憶』の中の「冬の明け方」のことその弐
「冬の明け方」 中原中也殘んの雪が瓦に少なく固く枯木の小枝が鹿のやうに睡い、冬の朝の六時私の頭も睡い。烏が啼いて通る――庭の地面も鹿のやうに睡い。――林が逃げた農家が逃げた、空は悲しい衰弱。 私の心は悲しい……やがて薄日が射し青空が開く。上の上の ...
人はみな旅人である。しかし時には原点に立ち戻る勇気も必要ということその肆
2017年もいよいよ大詰めである。「寒い夜の自画像」 中原中也きらびやかでもないけれどこの一本の手綱をはなさずこの陰暗の地域を過ぎる!その志明らかなれば冬の夜を我は嘆かず人々の焦燥のみの愁しみや憧れに引き廻される女等の鼻唄をわが瑣細なる罰と感じそが、わが ...
中原中也『冬の日の記憶』の中の 「冬の明け方」のこと
冬も本格的になってきた冬が似合う詩人というか冬に味わいたい詩人といえばやはり中原中也か。人生の曲り角、お肌の曲がり角には叫びだしたくなる夜があるノオ、ノオ、ノオ・・・と少し福永武彦のようになってしまったが、私の人生に座る椅子なんてないのだ。中原中也の詩を ...
中原中也『在りし日の歌』の中の「閑寂」のこと
「閑寂(かんじゃく)」 中原中也なんにも訪ふことのない、私の心は閑寂だ。 それは日曜日の渡り廊下、 ――みんなは野原へ行つちやつた。板は冷たい光澤をもち、小鳥は庭で啼いてゐる。 締めの足りない水道の、 蛇口の滴は、つと光り!土は薔薇色、空には雲雀空は ...
中原中也『在りし日の歌』の中の「また来ん春」のこと
筆者が所属する男声合唱団の不動のベース、人生の大先輩I氏の再登場である。先日いただいた音源に『在りし日の歌』も収録されていた。ありがとうございます。噂はきいていたが、音楽を聴くのは初めてだ。一聴して、叫んだ。なんという曲集だ!!すぐに楽譜を買い求め二度見 ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「月の光」のことその弐
第1部中也が書いた「月」の違った風景の詩。「湖上」 中原中也ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けませう。波はヒタヒタ打つでせう、風も少しはあるでせう。沖に出たらば暗いでせう、櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、― ...
中原中也『中原中也の詩から』の中の「月の光」のことその壱
「月の光 その一」 中原中也月の光が照つてゐた月の光が照つてゐたお庭の隅の草叢に隠れてゐるのは死んだ兒だ月の光が照つてゐた月の光が照つてゐたおや、チルシスとアマントが芝生の上に出て來てるギタアを持つては来てゐるがおつぽり出してあるばかり月の光が照つて ...