結構昔のことで、
記録も残ってないし記憶もあやふやな概念が、
私の心にずつと棲みついている。
それは多田武彦作曲の男声合唱組曲『北斗の海』が
犯人(?)だとはわかっている。
拙ブログで以前書いた記事はこちら。
この多田武彦作曲の
男声合唱組曲『北斗の海』にふれるたびに
こつこつと私のコアに語りかけてくるのである。
その語りかけてくるものとは、
2曲目の「窓」という曲によく表れている。
記録も残ってないし記憶もあやふやな概念が、
私の心にずつと棲みついている。
それは多田武彦作曲の男声合唱組曲『北斗の海』が
犯人(?)だとはわかっている。
拙ブログで以前書いた記事はこちら。
この多田武彦作曲の
男声合唱組曲『北斗の海』にふれるたびに
こつこつと私のコアに語りかけてくるのである。
2.窓
3.風景
4.海
4.海
5.エリモ岬
全5曲。その語りかけてくるものとは、
2曲目の「窓」という曲によく表れている。
大人の事情により、抜粋で。
「窓」草野心平波はよせ。波はかへし。波は古びた石垣をなめ。陽の照らないこの入江に。波はよせ。波はかへし。下駄や藁屑や。油のすぢ。波は古びた石垣をなめ。波はよせ。波はかへし。波はここから内海につづき。外洋につづき。はるかの遠い外洋から。波はよせ。波はかへし。波は涯しらぬ外洋にもどり。雪や霙や。晴天や。億万の年をつかれもなく。(中略)愛や憎悪や悪徳の。その鬱憤の暗い入江に。波はよせ。波はかへし。波は古びた石垣をなめ。みつめる潮の干満や。みつめる世界のきのふやけふ。(後略)
『絶景』(八雲書林、1940年)
寄せる波と返す波は
地球規模でみると同じ回数。
プラスマイナス”ゼロ”というもの。
つまり、そこに時間を超越した”永遠”を感じるのである。
これまで取り上げてきた『富士山』や『草野心平の詩から』の中で、膨大な時の流れを歌ってきたのとは正反対である。
眼前に広がる海を眺めながら
永遠の今を感じているのかもしれない。
また、波の数についても
1分間に約18回といわれているそう。
これは成人の平均的な呼吸数と同じということで、
波は人間、人生のようでもある、と
詩人草野心平は観ていたのではないだろうか。
こう考えると、
脈々と受け継がれてきた時の記憶と永遠。
時間を海から富士、天、はては宇宙までの存在を超えた無限なもの。
その中で駆け巡る人間いや生きとし生けるものすべての歴史と記憶。
これらの風景を「窓」からみつめる心平のまなざし。
それがこの詩につまっているのかなと思う。
そして、その寄せては返す波の心平の世界観が
見事に曲に表れていると思う。
ああ、だから
波はよせ。
波はかへし。
のくりかえし。
なんだなあ。
これだから
心平はすごいよなあ。
詩人や作曲家の魂に
思いをはせて味わいたい曲である。
おわり。
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