以前拙ブログでも書いたが、
「人事は棺を蓋(おお)うて定まる。
~人間の真価は、死んでから決まる。の意~」
(『晋書/劉毅伝』から)
ということを座右の銘としている者としては、
没後七十年たっていない詩人は
没後七十年たっていない詩人は
まだ取り上げていない。
というか取り上げる勇気がない。
ちなみに、まだ機が熟していないが
いつかは書いてみたい曲集たちがこちら。
というか取り上げる勇気がない。
ちなみに、まだ機が熟していないが
いつかは書いてみたい曲集たちがこちら。
草野心平
『草野心平の詩から』『富士山』『蛙』『北斗の海』
伊藤整
『雪明りの路』『吹雪の街を』
堀口大學
『雪国にて』
田中冬二
『北陸にて』
などなど。
くしくもこのうち
草野心平『富士山』全曲を
男声合唱団タダタケを歌う会で
歌うことになった。
拙ブログでの記事がこちら。
コンサートの概要はこちら。
コンサート「第拾」
2024年4月20日(日)
於 (都営地下鉄大江戸線光が丘駅)
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第1ステージ 男声合唱組曲『鳥の歌』
1「揚げ雲雀」
2「鶯」
3「百舌」
4「夏の祭」
5「鳶なく」
6「鴉」
7「鷲」
※全て作詩は三好達治
7「鷲」
※全て作詩は三好達治
第2ステージ タダタケ ア・ラ・カルト
※選曲はまだシークレットとのことです。
第3ステージ 男声合唱組曲『富士山』
1「作品第壹」
2「作品第肆」
3「作品第拾陸」
4「作品第拾捌」
5「作品第貳拾壹」
※全て作詩は草野心平
※全て作詩は草野心平
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男声合唱組曲『富士山』の情報については
こちらのHPが参考になります。
この組曲はタダタケファンなら
誰しもが一度は歌ったことがある。
もしくは一度は客席で演奏を聞いたことがある。
という超有名な組曲である。
そしてスケールの大きな組曲でもある。
筆者などのビビリセカンドシンガーは
この組曲を歌う際に、
草野心平の詩の世界のスケールの大きさに
そんなときに、
小説家、翻訳家でもある豊島与志雄の
『「草野心平詩集」解説』の一節が
草野心平における富士山の世界観について
感じることの一助になるかもしれない。
(前略)天と富士山。
天についての代表的な作品である。天とは、時空を絶した場であり、且つ時空を含んだ場である。この場を、心平さんは凝視し、把握しようとする。
多彩に染められても無色なるに等しく、如何に傾斜しても水平なるに等しく、
如何に荒れ狂っても静謐なるに等しい。これを表現するのは、容易なことではない。
「天をじかの対象とすることは私には重すぎることだ、」と心平さん自身も言う。
こういう重荷を持ってることは、詩人として却って幸福なことだ。
然し、天をじかの対象とせずとも、それを背景として、いろいろな表現が為され得る。
その時、天の比重はさまざまになる。心平さんの近著「天」の後記の一節を見よう。
「数年前、私の天に就いての或る人のエッセイが詩の雑誌にのったことがあった。
私はそれまで天というものを殊更に考えたことはなかったのだが、
ふと……従来の詩集をひらいて天のでてくる作品に眼をとおした。
あるあるあるある。私のいままで書いた作品の約七十パアセントに天がでてくる。」
「富士山の詩を私は永いあいだ書いてきたように思うが、
もともと富士山などというものは天を背景にしなければ存在しない。」
つまり、天は心平さんの、意識的にせよ無意識的にせよ、バック・ボーンなのだ。
(後略)
豊島与志雄(1967年)豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)
青空文庫11月10日
https://www.aozora.gr.jp/cards/000906/files/42587_22912.html
(アクセス日:2023/7/03)
※赤字は筆者が強調した。
組曲の5曲の中に「天」という単語はそんなには出てこない。
だからこそ、強い印象を感じる。
-----
3「作品第拾陸」
さくらんぼ色はだんだん沈み
上天に金隈取の雲一点
-----4「作品第拾捌」
どこからか そして湧きあがる
天の楽音
-----
それにしても
なぜ「天」なのか。
草野心平(1903-1988)の人生の前半は、
まさに欧米列強の領土拡張の覇権争いが
激しかった頃といっていいと思う。
つまり、列強国家の領土拡張のアイデンティティが
水平的なベクトルで強さを発揮していたということ。
言葉を選びますが、
その列強に対抗する持たざる国日本は、
何千年の歴史を誇る文化的蓄積などの
垂直的なベクトルで強みを発揮していたということ。
その意味で、
海⇒富士山⇒天とつながる垂直のベクトルの迫力、
いわば天へのこがれに、
草野心平は強く引かれて詩を書いていたのではないだろうか。
もちろん、どんな天才もその時代の空気感や常識からは
隔絶した人生を送れるわけではない、というのが筆者の立場です。
天へのこがれを感じる単語は
結構出てくる。
4「作品第拾捌」
そんなことを考えて
いつも練習に臨んでいる。
-----
それにしても
なぜ「天」なのか。
草野心平(1903-1988)の人生の前半は、
まさに欧米列強の領土拡張の覇権争いが
激しかった頃といっていいと思う。
つまり、列強国家の領土拡張のアイデンティティが
水平的なベクトルで強さを発揮していたということ。
言葉を選びますが、
その列強に対抗する持たざる国日本は、
何千年の歴史を誇る文化的蓄積などの
垂直的なベクトルで強みを発揮していたということ。
その意味で、
海⇒富士山⇒天とつながる垂直のベクトルの迫力、
いわば天へのこがれに、
草野心平は強く引かれて詩を書いていたのではないだろうか。
もちろん、どんな天才もその時代の空気感や常識からは
隔絶した人生を送れるわけではない、というのが筆者の立場です。
天へのこがれを感じる単語は
結構出てくる。
-----
1「作品第壹」
1「作品第壹」
七色の霞たなびく
七色の陽炎になってゆらゆらする
-----
2「作品第肆」
七色の陽炎になってゆらゆらする
-----
2「作品第肆」
ふりそそぐ春の光
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3「作品第拾陸」
-----
3「作品第拾陸」
牛久のはての
はるかのはての山脈の
その山脈からいちだん高く黒富士
存在を超えた無限なもの
存在に還へる無限なもの
-----4「作品第拾捌」
まるで紅色の狼火のように
5「作品第貳拾壹」
どこからか そして湧きあがる
天の楽音
-----5「作品第貳拾壹」
その絶端に
いきなりガッと
夕映の富士
降りそそぐ
翠藍ガラスの大驟雨
------そんなことを考えて
いつも練習に臨んでいる。
そうすると
今回取り上げる
草野心平の5曲が、
全て繋がりをもって
私の前に降り注いでくるようで、
ぼくは思わずくしゃみをした。
そして背筋を伸ばした。
なんだか
楽しくなってきたぞ。
よかったら、
一緒に富士山にアタックしてみませんか。
勧誘リーフレットはこちら。
いつでもお声がけください!
おわり。
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