多田武彦の作品は、
組曲で聴くのが
取り上げられた詩との対比もあって面白い。
しかしながら、
まだ知らぬタダタケの
新しい曲との出会いも
愉しみにしたい。

そんな贅沢な(勉強不足の)悩みに
答えてくれるのが、
男声合唱団タダタケを歌う会のコンサートで
設けられている企画ステージ
「タダタケ ア・ラ・カルト」である。
次のコンサートで演奏する予定の曲は
この4曲の予定である。

コンサート「第玖」
男声合唱組曲『雪国にて』から「老雪」【堀口大學】
男声合唱組曲『三崎のうた』から「丘の三角畑」【北原白秋】
男声合唱組曲『秋風裡』から「海鳴り」【三好達治】
男声合唱組曲『雲の祭日』から「ソネット集」【立原道造】

2023年1月29日(日)演奏会の詳細についてはこちら。


この4曲のうちの「丘の三角畑」について。

「丘の三角畑」
   北原白秋
 
鍬打つ、鍬打つ、
裸で鍬打つ、
空は円天井、
地面は三角、
光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。

鍬打つ、鍬打つ、
並んで鍬打つ。
とべらの木は山形。
反射は三角。
光は銀いろ、薔薇いろ、灰いろ。

鍬打つ、鍬打つ、
離れて彼方此方、
黙つて鍬打つ、
向うにライ麦、こちらに人参。
光は利休茶、緑に、金色。

鍬打つ、鍬打つ、
うしろむきに鍬打つ、
一心に鍬打つ、
打たずにやゐられぬ。
とべらの木の周囲を廻つて鍬打つ。
光は薔薇いろ、空いろ、利休茶。

鍬打つ、鍬打つ、
近寄つて鍬打つ、
キラキラするのは 巡査のサアベル、
畑の上では蒸汽が旗振る。
光は薔薇いろ、湾内や真青。

鍬打つ、鍬打つ、
振りかへつて鍬打つ、
とべらの木の下ではあかんぼがすやすや、
鶏がコケツコツコ。
光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。

鍬打つ、鍬打つ、
向きあつて鍬打つ、
拝んで鍬打つ、
打たずにやゐられぬ、心から鍬打つ。
光は薔薇いろ、向日葵、金色。

ぎあとあかんぼが啼き出した。
(『畑の祭』/アルス/1920年)

この「丘の三角畑」の詩については
多田武彦〔タダタケ〕データベースの作品リストで
詳しく知ることができる。
いつも大変お世話になっており大変感謝ただただ感謝。

このサイトによると、
「丘の三角畑」が収録されている『畑の祭』は1920年発表となっている。
傷心の北原白秋が神奈川県の三崎に移り住んだのが1913年1月頃で、
その三崎での北原白秋の足跡はこのサイトで紹介されている。


この『畑の祭り』には、
次のような生命感にあふれる詩もあり、
傷心の文学青年が生命の素晴らしさ、
市井の人々が逞しく暮らしていく力に
めざめていく様子がうかがえる。

「崖の上の麦畠」
   北原白秋

真赤なお天道さんが上らつしやる。やつこらさと
鍬を下ろすと、ケンケンケンケン……
鶺鴒が鳴きくさる、
崖がけの上の麦畠、
天気は快し、草つ原に露がいつぱいだで、
そこいら中ギラギラしてたまんねえ。
九右衛門さん、麦は上作だんべえ、
蚕豆もはぢきれさうだ。

(中略)

真赤なお天道さんが燃えあがる、
雲がむくむく燥き出す、
狂ひ出すと――吃驚しただが、
畔の仔牛が鳴き出す、
わあといふ声がする、
村中で穀物を扱き出す、
ぢつとして居らんねえ、
俺おれちも豆でもぎるべえ。

赤ちやけた麦と蚕豆、
ぐんぐん押しわけてゆくてえと、
たまんねえだぞ……素つ裸で、
地面ぢべたにしつかり足をつける、うんと踏んばろ、――
まん円いお天道さんが六角に尖つて
四方八方真黄色に光り出す。――
そこで、俺ちも小便をする。

(中略)

おやあ、蝉が鳴いてるだな、
どうしただか、これ、ふんとに奇異だぞ、
熟れ返つた麦ん中で真面目くさつて鳴いてるだ、
あつはつはつ……これ、ふんとに不思議だぞ、
何んでも、はあ、地面ぢべたにかぢりついて
一生懸命に鳴いてるだ。

夏が来ただな、夏が来ただな、
海から山から夏が来ただな。

あつはつはつはつ……
あつはつはつはつ……
(『畑の祭』/アルス/1920年)

これらの詩が収められている『畑の祭』であるが、
三崎時代に全て書かれたというよりは、
後年まとめられたもののようである。
そして、「三崎」以降北原白秋はこれまでの自分に
別れを告げ、新たな作風に踏み出していくこととなるが
それが自らの筆で書かれているのがこちらである。


「白秋詩集」序
北原白秋

 詩は芸術の精華である。この詩の道を行ふ外に、私は生れて何一つ与へられてゐなかつた。これが為めに、私はただ一すぢに詩に仕へて来た。詩に生き、詩に痩せ、詩に苦しみ通して来た。人間としてのかうがうしい歓びも、人間の果知れぬ寂しさも、私はたゞ詩に依つてのみ現す事が、ただ私の取るべき道であつた。
 私は歌つた。歌はねばならなくなつて、私はただ歌つた。かうして私の詩が流れ出して来た。こんこんとして大地の底から湧き上り溢れ出づるものの如く、これらは皆私の心肉から真実に溢れて言葉となつたものであつた。とりもなほさず私のものであつた。
(中略)
而も私の生涯に一大転機を劃した苦しい恋愛事件の後、私は新に鮮に蘇つた。全く新生の黎明光が私の心霊を底の底までも洗ひ浄めてくれた。私は皮を脱いだ緑蛇のごとく奔り、繭を破つた白い蛾の如く羽ばたき廻つた。私は健康で自由で、而も飽くまでも赤裸々で、思ひきり弾み反つて躍つた。光りかがやく法悦、あらゆるものが歓びに満ち満ちて私に見えた。其三崎、小笠原の生活から再び東京へ帰ると、一時はまた一種の狂喜的な霊感から殆んど我を忘れた礼讃唱名の日夜を送つた。
(中略)
 本集には既刊の「邪宗門」「思ひ出」「雪と花火」「真珠抄」「白金の独楽」「わすれなぐさ」「白秋小唄集」「とんぼの眼玉」等の諸詩集と、未刊の三崎詩集「畑の祭」、及びその後諸雑誌に載せたまゝ公刊の機を失つた大正五年の諸作、それに加ふるに、「邪宗門」前の少年期の長篇その他を綜括した。で、殆ど私の詩の凡てを網羅したと云つても差支無い。かうしていよいよこの綜合詩集全二巻を以て、私は昨日の私と潔く別れる。
 考へると私の歩いて来た道は随分華麗でもあつたが、随分の難路でもあつた。この道は今やいよいよ一足毎に高く、一足毎に雲深く、弥深く閑寂無二のものとなりつつある。

この道や行く人なしに秋の暮

 切に芭蕉のこの句が思ひ出される。結局は矢つ張り私一人の道だ。

大正九年八月
小田原木兎の家にて
白秋識

『白秋詩集 第一巻』アルス,1920年

多田武彦の作曲した
『柳河風俗詩』『雪と花火』『東京景物詩』のような
華やかな東京時代の詩とはまた違った北原白秋の姿が
垣間見えて興味深い。
まさに生涯を通して作風をどんどん変えていく
といわれる北原白秋の面目躍如である。

歌っても歌っても全貌がつかめない北原白秋の姿を
多田武彦の曲を歌うことでこれからも味わいたい。

おわり。