多田武彦の作品は、
組曲で聴くのが
取り上げられた詩との対比もあって面白い。
しかしながら、
まだ知らぬタダタケの
新しい曲との出会いも
愉しみにしたい。
そんな贅沢な(勉強不足の)悩みに
答えてくれるのが、
男声合唱団タダタケを歌う会のコンサートで
設けられている企画ステージ
「タダタケ ア・ラ・カルト」である。
次のコンサートで演奏する予定の曲は
この4曲の予定である。
コンサート「第玖」
男声合唱組曲『雪国にて』から「老雪」【堀口大學】
男声合唱組曲『三崎のうた』から「丘の三角畑」【北原白秋】
男声合唱組曲『秋風裡』から「海鳴り」【三好達治】
男声合唱組曲『雲の祭日』から「ソネット集」【立原道造】
2023年1月29日(日)演奏会の詳細についてはこちら。
この4曲のうちの「海鳴り」について。
「海鳴り」
三好達治
わが庭園は薯畑
夏の夜露がしつとりと
星がとぶまた星がとぶ
庵の主じが窓に出て
籐の臥椅子にねる頃には
秋のこゑして蟲がなく
ひき蛙めが片われの
月を見るとてまかりでて
陶のあたりでこれもなく
よいやれさあよいやのさ
あれはいさああれはのさ
濱にたてたる高張りの
二つばかりの火のかげに
けふもをどりの輪がたつて
ほうやれほうほいやれほ
こゑあるもののみながみな
かなしいうたをうたふ夜だ
さればかなたの海鳴りの
かすかなるさへとりわきて
身にも骨にもとほる夜だ
たのしい夏は夢ばかり
――ほんにもう秋かい
(『駱駝の瘤にまたがつて』/1952年3月/「秋風裡」の項より)
1952年3月という時期に発表されたこの詩。
結構ボリュームがある詩だが、
いくつかのパートに分けて味わってみる。
( )内は筆者の私見による区分け。
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「海鳴り」
三好達治
(第一パート:東京の家の風景/眼前に広がる風景)
わが庭園は薯畑
夏の夜露がしつとりと
星がとぶまた星がとぶ
庵の主じが窓に出て
籐の臥椅子にねる頃には
秋のこゑして蟲がなく
ひき蛙めが片われの
月を見るとてまかりでて
陶のあたりでこれもなく
(場面転換:はやしことば)
よいやれさあよいやのさ
あれはいさああれはのさ
(第二パート:東京からはるか遠くの福井三国港を思いやる風景)
濱にたてたる高張りの
二つばかりの火のかげに
けふもをどりの輪がたつて
(場面転換:はやしことば)
ほうやれほうほいやれほ
(第三パート:東京で三好達治が第一、第二パートに思いをめぐらす
「日本」という風景/敗戦の爪痕がいたるところに残る風景)
こゑあるもののみながみな
かなしいうたをうたふ夜だ
さればかなたの海鳴りの
かすかなるさへとりわきて
身にも骨にもとほる夜だ
たのしい夏は夢ばかり
――ほんにもう秋かい
(『駱駝の瘤にまたがつて』/1952年3月/「秋風裡」の項より)
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味わうポイント
(場面転換:はやしことば)
よいやれさあよいやのさ
あれはいさああれはのさ
ほうやれほうほいやれほ
これらは
全国各地のはやしことば(囃子詞)と考えると
しっくりくるかもしれない。
曲全体を通してこの囃子詞が伴奏のように
流れてくる。
(第二パート:東京からはるか遠くの福井三国港を思いやる風景)
三国には北陸三大祭と名高い三国祭という5月下旬の初夏に行われる祭りがあり、
その祭りでは山車や高張り提灯が街中にあふれるとのこと。
第一パートと第二パートでは囃子詞の中に
旋律が生まれては消え生まれては消えしている曲調となっている。
つまり達治の思考のピントが定まっていず
様々な思いが駆け巡っている様子が曲中に満ち満ちている。
(第三パート:東京で三好達治が第一、第二パートに思いをめぐらす
「日本」という風景/敗戦の爪痕がいたるところに残る風景)
このパートに入って61小節目のところで達治の思考の焦点があい、
初めてffで力強く曲が動き出す。
こゑあるもののみながみな
かなしいうたをうたふ夜だ
さればかなたの海鳴りの
かすかなるさへとりわきて
身にも骨にもとほる夜だ
この部分が詩と曲の頂点と考えられる。
(第一パート:東京の家の風景/眼前に広がる風景)
第一パート(及び詩全体)を味わうために参考になる詩が
「海鳴り」の前に発表されている。
「鳴け 田螺」
三好達治
鳴け 田螺
歌え ひき蛙
さくらの花のちる闇で
石も夢みる春の夜だ
鳴け 田螺
歌え ひき蛙
ジュピターさまの手の中でまた一つ
星のうまれる春の夜だ
この庵の主にならえ
拙を用いてはばかるな
鳴け 田螺
歌え ひき蛙
鳴け 田螺
歌え ひき蛙
曲もない歌のあわれで
海も凪ぎ月も沈むよ
(『砂の砦』/臼井書房/1946年7月)
味わうポイント
・田螺(たにし)は闇夜に鳴くらしい。
・引き蛙と田螺は田舎くさい下手な歌い手としての象徴。
達治自身への自嘲も込められているか。
・月もないような春の夜だから、田螺よひき蛙よ存分に歌え。
下手でもいいじゃないか。
・この庵の主(達治自身)である詩人のように
歌が下手なのを気にかけるな。
・たとえ趣のない歌でも却ってその哀れさに海も凪ぎ、
月も沈むだろうから。
・自分の詩はいつだって時代遅れで泥臭いものと
分かっちゃいるがそれでもいいじゃないか。
あの敗戦後、三好達治がどのような思いで過ごしていたか
凡人の筆者には想像もつかないが、詩と曲を味わい
合唱曲として表現することはできる。
「鳴け 田螺」の境地から時が経って
達治の思いが「海鳴り」に昇華されたのかと思うと
なかなかぐっとくるものがある。
男声合唱団タダタケを歌う会の
個性溢れるアンサンブルリーダーによるステージなので
きっと心に残る演奏になると確信している。
ちなみに、この時代の三好達治をよく知ることの出来る映画が公開される。
個人的には非常に楽しみである。
拙ブログでも過去に取り上げたことがある。
個人的には非常に楽しみである。
拙ブログでも過去に取り上げたことがある。
おわり。
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