三好達治の詩による
組曲『わがふるき日のうた』は
個人的にはとても思い入れのある
組曲の一つである。
全7曲中の6曲目の
「鐘なりぬ」については拙ブログでも
以前取り上げたことがある。




「鐘鳴りぬ」 
   三好達治

聽け
鐘鳴りぬ
聽け
つねならぬ鐘鳴りいでぬ

かの鐘鳴りぬ
いざわれはゆかん

おもひまうけぬ日の空に
ひびきわたらふ鐘の音を
鶏鳴か五暁かしらず

われはゆかん さあれゆめ
ゆるがせに聽くべからねば

われはゆかん
牧人の鞭にしたがふ仔羊の
足どりはやく小走りに

路もなきおどろの野ずゑ
露じもしげきしののめを
われはゆかん
ゆきてふたたび歸りこざらん

いざさらばうかららつねの
日のごとくわれをなまちそ
つねならぬ鐘の音聲
もろともに聽きけんをいざ
あかぬ日のつひの別れぞ わがふるき日のうた――
(『朝菜集』/青磁社/1943年)

特に、詩の解釈では
様々な思いがよぎるので、
少し違う視点から。
「鐘なりぬ」の「鐘」に着目。

決して鳴らない「石の鐘」、77年吊るす寺 
戦中の「代替梵鐘」に込めた住職の思い(Jタウンネット)


もう一つ。
大半の寺院が梵鐘供出-銘文 今に戦時伝え(三重県HPより)


1941年(昭和16年制定)
資源供給が断たれた国は
金属類回収令を施行。
石の鐘は、ドンという音しか
しなかった。

三好達治は
こらだめだ、
と思ったのかもしれない。

この鐘の音を考えるのに
参考になる本がある。

丸谷才一『笹まくら』
(河出書房新社/1966年7月)

という小説の中に
次のような記述があったように
記憶している。

戦後のはなし。
火事の時などで
鐘がガンガン打ち鳴らされた時に
敵味方の機関銃を乱射する音や
戦場に下士官でいった者のうめきが
思い起こされる。
まさに悪夢であると。

軍隊生活の経験もある三好達治には
「ならない」鐘の音が
日本中のお寺のすずをあつめてならしたもの
に聞こえたのかもしれない。
そして、それは常ならぬ
非常事態を告げるものに
聞こえたのかもしれない。

詩の難易度もMAX。
曲の難易度もMAX。
味わい深さもMAX。
解釈も様々であるがゆえに
味わい深い曲であると思う。

いつかは歌ってみたい曲である。

参考までに。