さて、中原中也である。
組曲1曲めである。

「北の海」
   中原中也

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇った北海の空の下、
浪はところどころ齒をむいて、
空を呪つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。
(『歴程』第一次創刊号/1935年5月)

いろいろなHPを
読んでみて、
次のイメージは
持つことができた。

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呪っているのは
人魚ではなく、
浪である。

人魚はなんとなく娘のイメージ
娘と浪という似ている漢字。

浪(なみ)の縁語
波、無み、涙、高し、帰る
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なかなか詩のイメージが
絞り込めないが、
この詩が収められている
「在りし日の歌」
‐亡き児文也の霊に捧ぐ
という位置からすると、

海にいるはずのない人魚が見えたが
実際は浪だった。

荒れ狂う北の海と繰り返す浪。

浪はよせ。
浪はかへし。

帰る波。
帰ってきてほしいのは…。

といったところが
今の所の詩のイメージか。

多田武彦の曲は、
テナーソロに導かれるように
荒れ狂う北の海と中也の気持ちが
表現されている。

まずは、
中原中也と尾崎喜八を結ぶ
接点でもある『歴程』。
特に『歴程』第一次創刊号/1935年5月
この眼で見てみたい。

東京都目黒区にある
この『歴程』の館内閲覧が
できるようである。
(訪れる前に一応蔵書確認を。念の為。)

新型コロナも一段落したことだし
時間を捻出して訪れてみたい。