最近なんやかやと忙しかったので、
新しい本を仕入れることを
すっかり忘れていた。
そんな折、
食材の買い出しに訪れた
近所のショッピングモールで
古本市が開かれていたので
つい立ち寄ってしまう。
妻「・・・買い出しは?(怒)」
父「スンマセン、15分だけ。(礼)」
妻「(見)るだけだぞ。」
父「(冷)凍食品は最後に買えば・・・」
娘「(道)南端の白チョーク」←草野心平好き
という発声練習のようなやり取りが
家族の心のなかでかわされた後、
晴れて古本を物色する時間が捻出できたのである。
そこで仕入れた戦利品がこちら。
(『三好達治詩集』旺文社/1969年)
なかなか興味深かった。
中でも、三好達治の第三高等学校時代の
親友にして好敵手といってもいい
丸山薫の三好達治論が面白かった。
三好達治と丸山薫については、
男声合唱界隈では
知る人ぞ知るサイト
詩人リストが参考になります。
この三好達治論は、
「私の三好達治像ー詩人以前の三好についてー」
と題された内容で、次の項目が
印象に残った。
(前略)ただここで現代の若い読者に言いたいのは、往時の軍籍に在る学校では本人の自由意志で退学は出来ず、退学は命令による除名処分によってのみ成り立ったという事実である。(中略)三好は士官学校をやめたのではなくて、やめさせられたのである。三高生の彼の気持を暗くしていたものの半分は、そうした追放者の行き所ない悲愁だったとも考えられる。(後略)『三好達治詩集』旺文社,1969年
三好達治の詩を味わうときに感じる
「愁い」「旅」「孤独」
「愁い」「旅」「孤独」
「華麗さと暗さの同居」などを
よく表していると感じた。
これからも多田武彦による三好達治の曲を
歌う機会は多いと思う。
そんなとき、この丸山薫の三好達治論を
思い出して慈しみを持って味わいたい。
過去の参考記事はこちら。
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