『わがふるき日のうた』の中でも
5曲目の「郷愁」は、
屈指の名曲であると思う。
「郷愁」
三好達治
蝶のやうな私の郷愁!……。
蝶はいくつか籬を越え、
午後の街角に海を見る……。
私は壁に海を聽く……。
私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。
隣りの部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
――海よ、僕らの使ふ文字では、
お前の中に母がゐる。
そして母よ、佛蘭西人の言葉では、
あなたの中に海がある。」
(『測量船』/第一書房/1930年)
この詩は
1曲目「甃のうへ」2曲目「湖水」
3曲目「Enfance finie」
と同じ詩集「測量船」から作曲されている。
これらの3つの詩とともにあわせて味わいたい詩が
この詩集に収められている。
「乳母車」
三好達治
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
轔々と私の乳母車を押せ
赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道
(『測量船』/第一書房/1930年)
蝶は
その何回も生まれ変わる生態から
古今東西を通じて
生命の尊重、生命の神秘、魂
というものが共通理解のようである。
蝶=私の魂が
故郷から遠く離れた下宿の一室から
海=母のところまで飛んでいく。
故郷を離れた郷愁という形をまとって。
というイメージでしょうか。
そしてその道の=距離は
遠く遠くはてしないものだということ。
そんなことを思っていたであろう
三好達治の行動が
「郷愁」の詩の中に記されている。
私は壁に海を聽く……。
「私は本を閉ぢる」「私は壁に凭れる」。
直接的には書いていないが
端的にいうと、
「母の声が聴こえる。
私は泣いている。」
「海」と紙にしたためると、
「母」が見えた。
(叫ぶ、呼びかけるでは
ないところがいいね。)
そんな三好達治の郷愁を感じながら
多田武彦の曲を味わいたい。
おわり。
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