油屋内の古書店で偶然見つけた一冊の雑誌がある。
『本 第1巻第5号No.15』(麦書房/1964年)。
特集はずばり「三好達治追悼」である。
強敵(とも)はいないようだ。
そっと手に取り、レジへ一目散。
わたしはいくつもいくつも
古本で白くなつた板戸の前を過ぎて
悪いことをするように
そこ(レジ)を通り過ぎ・・・
妻「会計は済ませてこい。」
そうだ、妻の声だ。
はっきり、覚えている。
妻「同じ屋根の下に生息しとるわ!」
閑話休題。
この号の中で、
伊藤信吉の「詩人と私」の中に、
三好達治の萩原朔太郎によせる想いが
伝わる一節がある。
「虚無の歌」
萩原朔太郎
午後の三時。広漠とした広間の中で、
私はひとり麦酒を飲んでた。
だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。
煖炉は明るく燃え、扉の厚い硝子を通して、
晩秋の光が侘しく射してた。
白いコンクリートの床、
所在のない食卓、
脚の細い椅子の数数。
ヱビス橋の側に近く、
此所の侘しいビヤホールに来て
私は何を待つてるのだらう?
恋人でもなく、熱情でもなく、
希望でもなく、好運でもない。
私はかつて年が若く、
一切のものを欲情した。
そして今既に老いて疲れ、
一切のものを喪失した。
私は孤独の椅子を探して、
都会の街街を放浪して来た。
そして最後に、
自分の求めてるものを知つた。
一杯の冷たい麦酒と、
雲を見てゐる自由の時間!
昔の日から今日の日まで、
私の求めたものはそれだけだつた。
(略)
今や、かくして私は、
過去に何物をも喪失せず、
現に何物をも失はなかつた。
私は喪心者のやうに空を見ながら、
自分の幸福に満足して、
今日も昨日も、
ひとりで閑雅な麦酒を飲んでる。
虚無よ! 雲よ! 人生よ。
(『四季』1936年5月号)
伊藤信吉によると
最晩年の三好達治は、
この「虚無の歌」を
よく口ずさんでいたという。
(特に赤字の部分)
以前拙ブログで書いた記事にも
繋がるような。
三好達治における「雲」「酒」の存在に
思いをはせるのもまた楽しいかもしれない。
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