山口県山口市阿東地区の名勝である。
NPO法人あとう観光協会HPに、
詳しい情報がある。
http://www.ato-kankou.org/View/Choumonkyo/
この詩の詩碑がたっているようだ。

1936年11月。
最愛の長男文也2歳にて病没。
30歳で夭折した中也の人生で
7人目の親族との死別体験。

「冬の長門峡」
   中原中也
 
長門峽に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
(『文学界』/1937年4月号)

1936年11月から1937年4月までの間の
冬の季節に訪れた長門峡での風景か。


まずは、愛読書の改訂版新総合国語便覧
文法をなめなめ。

「けり」過去・詠嘆の用法
(作者の間接的な経験を
 回想する場合が多い。
 詠嘆の意味が強い場合には、
 今まで気づかなかった事実に気が付いて
 ・・・だったんだなあと驚いたり
 感動することが多い。)

「き」過去の用法
(作者自身が直接経験したことを
 回想する場合が多い。)

「ぬ」完了の用法
(自然推移的・無作為的・無意識的動作の
 完了を表すことが多い。)

詩を通して何回もよんでみると
この「けり」「き」「ぬ」
3要素が織りなす世界が、
強烈な印象を残してくれる。

曲もしみじみとした佳曲。
年輪を重ねるごとにますます
この詩と曲に共感する思いが
強くなってくる。

おわり。

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