最近、お疲れモードのせいか
しみじみとした詩を身体が求めている
気がする(笑)

さて、組曲『叙情小曲集』の終曲である。

「信濃」
 (編がさやちらと見しもの雪のひま)
   室生犀星

雪といふものは物語めいてふり
こなになりわたになり 哀しいみぞれになり
たえだえにふり また向ふも見えぬほどにふる
村の日ぐれはともしびを数へてゐるうちに深まる

雪は野山を蔽ひ 野山も見えずなる
こなになりわたになり 哀しいみぞれになり
きれぎれにふり つひに歇(や)んでしまふ
(『旅人』/臼井書房/1947年)

室生犀星の筆がさえわたる名著
『我が愛する詩人の伝記』
(新潮社/1958年)によると、
師匠と慕っていた「北原白秋」
の章が興味深い。

●松下俊子さんと若気の過ちで、
 彼女の夫から告訴されていた。
 が分かりやすいです。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000163863

●白秋は、同じ独房の松下俊子さんが
 運動場に行く姿をうたったのがこちら。
●編笠をすこしかたむけよき君は
 なほ紅き花に見入るなりけり
●編がさはこのころ(1913年頃)、
 囚人が被るものだった。

・・・犀星が「編がさ」について書いている。


●1942年5月、親友萩原朔太郎、死去。
●1942年11月、師匠北原白秋、死去。
●1944年8月、軽井沢に疎開。
●1949年9月、疎開から戻る。

疎開先でうたわれたこの「信濃」。

時雨(しぐれ)からみぞれ。
晩秋から初冬へ。
白秋から犀星へ。
移り行くものへの
犀星の滋味あふれるまなざし。

「時雨」
   北原白秋

時雨は水墨のかをりがする。
燻んだ浮世絵の裏、
金梨地の漆器の気品もする。
わたしの感傷は時雨に追はれてゆく
遠い晩景の渡り鳥であるか、
つねに朝から透明な青空をのぞみながら、
どこへ落ちてもあまりに寒い雲の明りである。
時にはちりぢりと乱れつつも、
いつのまにやら時雨の薄墨ににじんで了ふ。
(『水墨集』/アルス/1923年)

「信濃」も「時雨」
どちらもしみじみとした名曲。
ゆったりとした気持ちで味わいたい。

おわり。

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