拙ブログの別の記事で、
「本歌取り」という視点から
室生犀星「春の寺」と三好達治「甃のうへ」
について随分前に書いた。



今回は、その室生犀星「春の寺」の話。

「春の寺」
   室生犀星

うつくしきみ寺なり
み寺にさくられうらんたれば
うぐひすしたたり
さくら樹に
すゞめら交り
かんかんと鐘鳴りて
すずろなり。
かんかんと鐘鳴りて
さかんなれば
をとめらひそやかに
ちちははのなすことをして
遊ぶなり。
門もくれなゐ炎炎と
うつくしき春のみ寺なり。
(『青き魚を釣る人』アルス/1923年)

この「み寺」は、
東京都大田区にある
萬福寺というところである、とHPから。
年譜はこちら「室生犀星記念館」のHPから。

室生犀星の決して幸福とはいえない
生い立ちは、
犀星の望郷の思い、
ささやかな暮らしの中での
全て物への慈しみに溢れている、と
感じる。

そういえば
半年くらい前に
全国紙A新聞の書評欄で
紹介されていた
室生犀星随筆集『庭をつくる人』
(改造社/1927年)
の文庫化という記事を読み、
買い求めた。

庭づくりへのこだわりと、
つくばい、石、垣根など。
こだわることにささやかな楽しみを
見出すかのような名随筆であった。

かんかんと鐘鳴りて
すずろなり。
(何ということもなし。)

をとめらひそやかに
ちちははのなすことをして
遊ぶなり。

(なんとはなしに、いいなあ、
ちちははのなすことを遊ぶことのできる
をとめらは。わしは・・・・)

決して派手な詩ではないけれど
このようなところに
生と死、出会いと別離、震災と転居。
激動の人生を優しいまなざしで見守った
犀星らしさを感じる。

この「春の寺」ではじまる7曲の『叙情曲集』。
珍しく1曲もソロがない曲集となっている。
しみじみと、慈しみをもって
味わいたい曲集である。

一応、男声合唱組曲
『わがふるき日のうた』の
1曲目の
あまりにも有名な曲も。

「甃のうへ」  
   三好達治

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに
語らひあゆみ
うららかの跫音
空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなき
み寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりに
うるほひ
廂々に
風鐸のすがた
しづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする
甃のうへ
(『測量船』(第一書房、1930年)

「本歌取り」のくだりは、
室生犀星の親友にして
三好達治の師匠筋の
萩原朔太郎にもずばり指摘された
と達治本人も認めていたいう。

やはり、巨匠は巨匠である。
全てお見通しだったのだろうか。
どちらも名詩であり、
どちらも名曲である、
それだけは間違いない。

おわり。

にほんブログ村 音楽ブログへ 
にほんブログ村