「早春」
津村信夫
淺い春が
好きだつた──
死んだ父の
口癖の
そんな季節の
訪れが
私に
近頃では
早く來る
ひと月ばかり
早く來る
藪蔭から
椿の蕾が
さし覗く
私の膝に
女の赤兒
爐の火が
とろとろ燃えてゐる
山には
雪がまだ消えない
椿を剪つて
花瓶にさす
生暖かな――
あゝこれが「生」といふものか
ふつと
私の頬に觸れる
夕べの庭に
ゆふ煙
私の性の
拙なさが
今日も
しきりと
思はれる
(『父のいる庭』/臼井書房/1942年)
組曲の3曲目、
2曲目では男の子と思っていた「太郎」が
生れたら女の子だったという時間の流れでの曲。
2曲目「太郎」については、
拙ブログで取り上げました。
2016年に開催された
タダタケをうたう会の演奏会第伍での
タダタケ・ア・ラカルトステージの
アンコールとして
演奏する機会に恵まれた曲である。
この組曲は、どうしても
亡き父の思い出が
中心になってしまうのだが。
中心になってしまうのだが。
仕事一筋の父が50代の頃、
突然猫をかいたいと言い出した。
あれよあれよという間に
ちゃとらのちっちゃい雌猫を
もらい受けてきた。
怖い父だったが、この猫の
可愛がりっぷりたらなかった。
よく、晩酌をしながら猫と
会話していた父の背中を
昨日のことのように思い出す。
昨日のことのように思い出す。
ちょうどこの頃、
会社でも営業担当役員として
非常に苦労していたのだと
のちに母から聞いた。
朝が早い仕事だったのだが、
この猫は父の隣で寝ていて、
目覚まし時計がなる5分前くらいに
父の顔をなめて、起こしていた。
毎朝、毎朝。
まるで自分の使命かと
いうかのようだった。
10年の月日がたった。
猫が10歳くらいになった頃。
父が定年になり、
次の仕事を見つけて、
早起きする必要がなくなった。
そして、
筆者の妻が妊娠した。
そんな家族の環境の変化が
訪れたとき、
実家に帰った身重の妻に
それまでおとなしかった猫が
牙をむいて襲いかかってきた。
止めても止めても
襲いかかってきた。
父の初孫が生まれることで
父が可愛がる対象の主役が
交代することを理解して
いたかのように。
しかしながら、
妻の娘、父にとっての初孫が
生れたと同時に
猫はもう妻に襲いかかることは
なくなった。
そして、急速に老けていった。
マンション住まいだった猫。
一歩も外に出ずに、
自分の縄張りを
実家で守っていた猫。
父を起こす役割を
一心に背負っていた猫。
酔っぱらった父のそばを
離れなかった猫。
家族の風景を描いた
この曲を聴いたり、
詩を読むたびに
人生の幸せの総量って
だいたい決まっているのかなあと
ふと思うことがある。
ひたすら増え続けるわけでもなく。
ひたすらなくし続けるわけでもなく。
いろんなことがおこって
いろんな時間が流れていく。
寂しさも嬉しさも。
ああ、これが生というものか。
多田武彦の曲は、
そんな思いを
自分から引き出してくれる
名曲である。
演奏会では、
アンサンブルリーダーの
小池さんの指揮で
夢中で歌った思い出の曲。
演奏会では、
アンサンブルリーダーの
小池さんの指揮で
夢中で歌った思い出の曲。
おわり。
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