先週から始まった
怒涛の北海道出張まつりも
三往復目。
オホーツク海沿岸の稚内よりの
とある街のホテルで
闇に寝しづまっている
家々を眺めながら
このブログを書いている。

妻「遠征で疲れてんだから、早よ寝んか!」
娘「インフルB型にかかってしんどいよ~。」
父「・・・空耳ア●ーか?樹の精か?」
明日は帰京するので、家族サービスにつとめねば。

さて、今年は筆者の父を喪ってから、
ちょうど十年のときがたった。
わたしは何をしてきたか・・・。
わたしのしてきたことといへば
さて、なんだらう・・・。




最近、父の夢をよくみる。
生粋の九州男児で、
曲がったことが大嫌いで。
無言実行で、でもお茶目で。

筆者が中高生の多感な時期には、
細かいことはいわずに、
ターニングポイントのときに
バシッとアドバイスをしてくれた。

筆者は何を隠そう
中学校時代、卓球部に所属していた。
反応速度の速さ
コース読みの妙
シンクロはずし
道具の選択の妙など、
下手なりに卓球の面白さは
理解していた。

しかし、親の眼から見たら、
文学好きで、
女子に話しかける度胸もなくて
誰に対しても引っ込み思案で
一言でいえば、内向的な性格に
みえていたのだろう。

時は流れ
高校に入学した筆者は、
やっぱり何か部活をやろう、
やっぱり卓球かなあ、と
思って何気なく父に相談した。

そこで父が筆者に言った言葉は、
「確かに卓球を続けることは
 いいことだろう。
 しかしせっかく環境が
 変わったんだ、
 新しいことを始める
 いいチャンスじゃないか。
 今のお前に必要なのは
 『声を出すこと』
 『自分を表現すること』
 ではないのか。」

嗚呼、父の声だ。
今でも鮮明に覚えている。

この言葉をかけてもらわなかったら
ライフワークになる合唱には
一生縁がなかったかもしれない
このエピソードを思い出したのも
父が会社員時代、新規営業開拓で
北海道の沿岸地域をこまめに
まわっていたと母から聞かされていた
からかもしれない。

嗚呼、父の声だ。

「父が庭にいる歌」
   津村信夫 

父を喪つた冬が
あの冬の寒さが
また 私に還つてくる

父の書齋を片づけて
大きな寫眞を飾つた
兄と二人で
父の遺物を
洋服を分けあつたが
ポケツトの
紛悦(ハンカチ)は
そのまゝにして置いた

在りし日
好んで植ゑた椿の幾株が
あへなくなつた
心に空虚(うつろ)な
部分がある
いつまでも殘つている

そう云つて話す 兄の聲に
私ははつとする程だ
父の聲だ――
そつくり 
父の聲が話してゐる
私が驚くと
兄も驚いて 私の顏を見る

木屑と 星と 
枯葉を吹く風音がする
暖爐の中でも鳴つてゐる

燈がともる
云ひ合せたやうに
私達兄弟は庭の方に目をやる
(さうだ 
  いつもこの時刻だつた)
あの年の冬の寒さが
今 庭の落葉を
靜かに踏んでくる
(『父のいる庭』/臼井書房/1942年)

やっとこの歌を歌えるようになり
やっとこの歌の滋味が少しわかった。

やはり、タダタケはいいなあ。
おはり。

追伸
『卓球がよくない』という趣旨では
まったくありませんので、念のため。
卓球については、会社の卓球クラブ
などに所属し、たまに試合に出場して
います。


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