「冬の明け方」
中原中也
殘んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。
烏が啼いて通る――
庭の地面も鹿のやうに睡い。
――林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
私の心は悲しい……
やがて薄日が射し
青空が開く。
上の上の空で
ジュピター神の砲が鳴る。
――四方の山が沈み、
農家の庭が欠伸をし、
道は空へと挨拶する。
私の心は悲しい……
(『在りし日の歌』/創元社/1938年)
先日のタダタケをうたう会の演奏会での
タダタケ・ア・ラカルトステージで
演奏する機会に恵まれた曲である。
個人的な意見であるが
多田武彦の中原中也ものは、
どれも曲も詩も難しい。
中也の迫力に翻弄されてばかりの
自分に愕然とするばかりであった。
そんな時、本番間近のある日。
当団(タダタケをうたう会)の
アンサンブルリーダーの下河原さんと
この曲について
プチ茶話会をする機会に恵まれた。
アンサンブルリーダーの下河原さんと
この曲について
プチ茶話会をする機会に恵まれた。
まさに目からうろこ。
アハ!体験。
コップの水を上手く飲むことに
囚われて、
水そのものの自由さ、美味しさを
忘れかけていたのだと。
コップの水を上手く飲むことに
囚われて、
水そのものの自由さ、美味しさを
忘れかけていたのだと。
自らを縛り付けていた桎梏から
逃れられる僥倖となった。
やがて薄日が射し
青空が開く。
本番は、
下河原さんの繊細かつ大胆な指揮で
迷わずに中原中也と多田武彦の世界に
浸ることができた。
教訓。
人の心 裏の裏はただの表だったりして。
♪ら・ら・ら~。
(大●摩季さんごめんなさい。)
おわり。
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