髙坂先生の情熱溢れる棒で歌うという
僥倖に恵まれたので、
僥倖に恵まれたので、
続きの『ソネット集・第二』も
是非歌ってみたい。
是非歌ってみたい。
1曲目の「夢見たものは」は、
広く人口に膾炙しているが、
曲集通して。ね。
いつか、きつと。
余談ですが、
髙坂先生の練習時に、
多田武彦を歌う際の
「セカンドテナーの矜持」を
教わりました。
目から鱗。
詳しくは練習会場にて(笑)
男声合唱団タダタケを歌う会HP
閑話休題。
組曲の3曲目。
「ひとり林に…」
立原道造
だれも 見てゐないのに
咲いてゐる 花と花
だれも きいてゐないのに
啼いてゐる 鳥と鳥
通りおくれた雲が 梢の
空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が
さやさや すぎるのだらう
草の葉には 草の葉のかげ
うごかないそれの ふかみには
てんたうむしが ねむつてゐる
うたふやうな沈默に ひたり
私の胸は 溢れる泉! かたく
脈打つひびきが時を すすめる
(出典詳細不明のため『立原道造詩集』
/岩波文庫/1988年版を参照しました)
この詩を読むと、
同じく立原道造『優しき歌』のこの曲が
連想される。
「落葉林で」
立原道造
あのやうに
あの雲が 赤く
光のなかで
死に絶へて行つた
私は 身を凭せている
おまへは だまつて 脊を向けてゐる
ごらん かへりおくれた
鳥が一羽 低く飛んでゐる
私らに 一日が
はてしなく 長かつたやうに
雲に 鳥に
そして あの夕ぐれの花たちに
私らの 短いいのちが
どれだけ ねたましく おもへるだらうか
(『優しき歌』/角川書店/1947年)
「おくれたものは」何だったのかと。
雲と、鳥と、そして・・・。
すべてが風にながれてながれていくなかで
立ちすくむ(横たわる?)道造。
「時」さえも流れていくというのに。
高原での眩暈か。
空気も薄いし。
多田武彦の作曲の巧みなところは
詩に寄り添い、その世界を尊重しつつも
自然な美しい旋律とハーモニーを
産み出すところにあるだろう。
詩人にとって、高い位置にある存在は高く。
詩人にとって、低い位置にある存在は低く。
そんな自然な音の配置に毎曲しびれる。
まだまだ触れていない多田武彦の曲が
あるから、楽しみはまだまだつづく。
忙しいを言い訳にしないで頑張らねば。
娘「6日間参加皆無。」
父「おお、回文でしめてくれて
ありがとう、娘よ。」
おわり。
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