「さびしき野辺」
   立原道造

いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行つた
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のやうに

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

ああ しかし と
なぜ私は いふのだらう
そのひとは だれでもいい と

いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる……ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに
(『優しき歌』/角川書店/1947年)

●立原道造の最初の詩集
「萱草に寄す」においては
 萱草はゆふすげ(ユウスゲ)
 である、と
 立原道造がのちに『四季』に
 記している。
 軽井沢あたりでみられるのは
 特に「アサマキスゲ(浅間黄萱)」
 いうとのこと。
(参考HP/長野県の情報【E-CURE】の中の
 軽井沢町植物園の紹介記事)
http://www.i-turn.jp/karuizawa-syokubutsu.html

●夏の夕暮れに花開き
 翌日の午前中にしぼんでしまう。
●ゆふすげの花言葉は
「麗しき姿」「媚態」
有名な演歌にも取り上げられて
 いるようです。

この詩は
もちろん有名な詩ですが
次の詩もあわせて
あじわうと
なかなか。
筆者の所持する
「立原道造詩集」(岩波文庫/1988年)
でも一番最初に
でてきます。

「はじめてのものに」
   立原道造

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
(詩集『萱草に寄す』自家版/1937年)

●信濃追分に滞在中の
 1935年8月5日に
 初めて浅間山の噴火を
 見る。
 その頃の生活、
 恋のことなどを
 この
「はじめてのものに」などに
 まとめる。
●ソネット(十四行詩)に
 傾倒していくのもこの頃から。
灰・・・追憶・・・悲しい
 蝶・・・蛾
 ささやいた・・・語り合つた
など。
「音楽」を強く意識した
立原道造らしい言葉の数々。

多田武彦の曲は、
非常に速いテンポで
展開される佳曲。

風の中でかはされる詩に
惑わされると
すぐに自分を見失いそう。
自戒、自戒。

おわり。

<参考文献>
「立原道造詩集」(岩波文庫/1988年)
http://karuizawa-kankokyokai.jp/knowledge/1460/


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