「志おとろへし日は」
三好達治
こころざしおとろへし日は
いかにせましな
手にふるき筆をとりもち
あたらしき紙をくりのべ
とほき日のうたのひとふし
情感のうせしなきがら
したためつかつは誦しつ
かかる日の日のくるるまで
こころざしおとろへし日は
いかにせましな
冬の日の
黄なるやちまた
つつましく人住む
小路ゆきゆきて
ふと海を見つ
波のこゑ
ひびかふ卓に
甘からぬ酒を
ふふみつ
かかる日の
日のくるるまで
(『一點鐘』/創元社/1941年)
印象的なのはこの部分。
手にふるき筆をとりもち
あたらしき紙をくりのべ
とほき日のうたのひとふし
情感のうせしなきがら
したためつかつは誦しつ
かかる日の日のくるるまで
三好達治は習字をよくする人で、
室町時代の和讃を手本にして
いたという。
室町時代の和讃は
仏教の教えを和語で
讃嘆したもので
讃嘆したもので
かつ七五調のものにして
旋律をつけたもの、と
広辞苑やウィキペディアに
のっている。
この時代は日蓮宗のものが
流行しており、
日本の民謡や歌謡、演歌などに
大きな影響を与えたとのこと。
なるほど、
和讃は竹林に満ち溢れ。
池をこえ
松をこえ。
あの曲の意味もすこし
理解できたような。
閑話休題。
「したためる」に
着目する。
三好達治『わがふるき日のうた』
の中のこの曲。
「郷愁」
三好達治
蝶のやうな私の郷愁!……。
蝶はいくつか籬を越え、
午後の街角に海を見る……。
私は壁に海を聽く……。
私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。
隣りの部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
――海よ、僕らの使ふ文字では、
お前の中に母がゐる。
そして母よ、佛蘭西人の言葉では、
あなたの中に海がある。」
(『測量船』/第一書房/1930年)
この部分。
海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
という2つの共通点。
「叫ぶ」「語る」「歌う」
ではなく「したためる」
という行為にこめた
三好達治の熱き想いが
感じ取れないだろうか。
参考までに
兵庫県赤穂市にある
(日本近代版画博物館)
http://userweb.117.ne.jp/tadenohana/
のサイトで
三好達治の幼少期に関する
記事を拝見しました。
https://tadenohana2.wordpress.com/2012/03/16/
妙三寺は日蓮宗のお寺。
三好達治の実弟三好龍紳は
日蓮宗本澄寺のお寺。
何かしらのご縁が
あったのでしょうね。
「志おとろへし日は」。
8分の12拍子という
印象的な曲。
ゆっくりと詩人と作曲者の
想いを感じて
かみしめるように
歌いたいものです。
おわり。
=============
参考文献
「天上の花―三好達治抄―」
(荻原葉子/新潮社/1966年)
=============
にほんブログ村
コメント