人はみな旅人である。
気持ちが折れそうなとき、
真夜中に叫びだしそうなとき、
己のルーツに立ち戻りたくなる、
そんな瞬間が
誰しもあるのではないだろうか。
筆者の場合、
そのルーツを思い出させるものたち。
それは東京は上野の 東京文化会館にある。
拙ブログで取り上げた 東京文化会館4F音楽資料室。
東京にでる機会があれば立ち寄りたい処のこと その壱
ここで、 思う存分 LPやCDを聴きまくり
原点に立ち返るのが 好きである。
娘「あれ、父はどこいった?」
妻「あー、いつのまにやら
スイカもカバンも消えている!
あ・い・つ・ら~!」
娘「父は一人だよ。」
妻「仕方ない。
このところ北方民族大移動で
なんやかや。
男声合唱団に
歌いにいってなかったようだからな。」
それはさておき、
筆者の原点はやはり合唱である。
詩も楽譜もみんな大事である。
つい、詩人に傾倒しすぎて しまうから、
(人の情けに似ないから。)
合唱に立ち戻るために
件の音楽資料室では
このCDを必ず 聴くことにしている。
☆1988年第41回全日本合唱コンクール
全国大会高等学校の部Bブロック
埼玉県立秩父高等学校音楽部
金賞/混声/81名/指揮:高波征夫
★課題曲(作曲/荻久保和明)
『しゅうりりえんえん』より「はかい」
★自由曲(作曲/山本純ノ介)
『万象』より「1.生命の源」
あのコンクールの
数々の名演が収められた CD軍団が、
奇跡的にこの1988年版から毎年分
この音楽資料室に 所蔵されているのです。
==============
合唱王国のひとつといわれた
関東地方のS県。
筆者も高校一年生で
混声合唱を始め、
わけがわからぬままに臨んだ
全日本合唱コンクール
S県大会が1988年秋。
あの頃自分は若かった(笑)。
合唱の奥深さは
まったく理解していなかった。
その年の高校の部県大会は
(今でもかな?)
まれにみる激戦区。
B団体金賞は
浦和一女(女声)
川越(男声)
春日部女子(女声)
秩父(混声) あと2校くらい?
A団体が1団体。
(惜しくも
失念してしまったが。)
筆者の高校は 惜しくも銀賞。
でもよかった。
この大会で、
合唱にはまりこむ
原体験を経験できたから。
会場は、 いつもとちがい
記念大会だとかで
大奮発したのか
ソニックシティ大ホールであった。
約2,500席の会場ですから
響きはよかったけど
歌うのにびびりまくったのである。
頭の中は真っ白。
さて、自分達の演奏が 終了した後は、
客席で他校の演奏を聴くことが
何よりの勉強である。
先に触れたB団体の金賞の高校は
みな100名近かったようだと記憶している。
勿論感動的な演奏ばかり。
しかし 私の度肝を抜いたのは
秩父高校の演奏。
高校生らしい 端正な音楽や
端正な演奏姿の 高校生達の中にあって
生き生きと
のびのびと
躍動感あふれる演奏に
目からうろこである。
ひりひりいたかった。
※個人の感想です。
皆様の名誉のために。
正直にいうと、
コンクールの課題曲で
涙したのは 後にも先にもこの時だけ。
「はかい」の中である
けもたちの叫びや
山が崩れる迫力の
ドライブ感たるや。
続く自由曲でも
九州熊本の荒ぶる菊池川を
モチーフにした
スケールの大きな演奏。
同じ高校生でここまで
表現できるのかと。
2曲でここまで観客を
ぐったりさせる音の洪水は
何なんだと。
やはりS県の心の河川
「荒川」の上流に住んでいる
「上流階級(?)」の
リアリティが出てるな、
と感動したものです。
※個人の感想です。って
もういいか。
ついでにいうと、
ソニックシティ大ホールで
数多くの合唱をききましたが
『ホールの地鳴り』を体感したのは
後にも先にもこの時だけ。
合唱部、いきおいで
入部しちゃったけど、
ちゃんとやろう。
と思い続けた15の夜。
勿論
何も盗んじゃいないが
大宮駅まで走り出す。
15の夜。
==============
ちなみに、
大学時代に入部した 混声合唱団に
この時の秩父高校のベースだった
K先輩という方がおられた。
以下、K先輩の回想。
☆当時秩父高校の全校生徒の
10人に1人が合唱部員という
くらいの比率の人気部活
だったとのこと。
☆県大会は4位金だったが、
全国大会は2位金だった。
しり上がりに調子を
あげたんだよ、あの時は。
とのこと。
☆毎年、関東大会の時期は
2年生が修学旅行の日程に
あたり、どっちを優先するか
悩ましい、とのこと。
(花形部活といっても
特別扱いしない
学校の姿勢もロックですな。)
☆感激した筆者の質問攻めに
K先輩「よく覚えてんねえ。
俺も気づかなかったよ。」
とのこと。
教訓 探究心はほどほどに。
感動は忘れずに
「音楽」を楽しもう。
おわり。
にほんブログ村
気持ちが折れそうなとき、
真夜中に叫びだしそうなとき、
己のルーツに立ち戻りたくなる、
そんな瞬間が
誰しもあるのではないだろうか。
筆者の場合、
そのルーツを思い出させるものたち。
それは東京は上野の 東京文化会館にある。
拙ブログで取り上げた 東京文化会館4F音楽資料室。
東京にでる機会があれば立ち寄りたい処のこと その壱
ここで、 思う存分 LPやCDを聴きまくり
原点に立ち返るのが 好きである。
娘「あれ、父はどこいった?」
妻「あー、いつのまにやら
スイカもカバンも消えている!
あ・い・つ・ら~!」
娘「父は一人だよ。」
妻「仕方ない。
このところ北方民族大移動で
なんやかや。
男声合唱団に
歌いにいってなかったようだからな。」
それはさておき、
筆者の原点はやはり合唱である。
詩も楽譜もみんな大事である。
つい、詩人に傾倒しすぎて しまうから、
(人の情けに似ないから。)
合唱に立ち戻るために
件の音楽資料室では
このCDを必ず 聴くことにしている。
☆1988年第41回全日本合唱コンクール
全国大会高等学校の部Bブロック
埼玉県立秩父高等学校音楽部
金賞/混声/81名/指揮:高波征夫
★課題曲(作曲/荻久保和明)
『しゅうりりえんえん』より「はかい」
★自由曲(作曲/山本純ノ介)
『万象』より「1.生命の源」
あのコンクールの
数々の名演が収められた CD軍団が、
奇跡的にこの1988年版から毎年分
この音楽資料室に 所蔵されているのです。
==============
合唱王国のひとつといわれた
関東地方のS県。
筆者も高校一年生で
混声合唱を始め、
わけがわからぬままに臨んだ
全日本合唱コンクール
S県大会が1988年秋。
あの頃自分は若かった(笑)。
合唱の奥深さは
まったく理解していなかった。
その年の高校の部県大会は
(今でもかな?)
まれにみる激戦区。
B団体金賞は
浦和一女(女声)
川越(男声)
春日部女子(女声)
秩父(混声) あと2校くらい?
A団体が1団体。
(惜しくも
失念してしまったが。)
筆者の高校は 惜しくも銀賞。
でもよかった。
この大会で、
合唱にはまりこむ
原体験を経験できたから。
会場は、 いつもとちがい
記念大会だとかで
大奮発したのか
ソニックシティ大ホールであった。
約2,500席の会場ですから
響きはよかったけど
歌うのにびびりまくったのである。
頭の中は真っ白。
さて、自分達の演奏が 終了した後は、
客席で他校の演奏を聴くことが
何よりの勉強である。
先に触れたB団体の金賞の高校は
みな100名近かったようだと記憶している。
勿論感動的な演奏ばかり。
しかし 私の度肝を抜いたのは
秩父高校の演奏。
高校生らしい 端正な音楽や
端正な演奏姿の 高校生達の中にあって
生き生きと
のびのびと
躍動感あふれる演奏に
目からうろこである。
ひりひりいたかった。
※個人の感想です。
皆様の名誉のために。
正直にいうと、
コンクールの課題曲で
涙したのは 後にも先にもこの時だけ。
「はかい」の中である
けもたちの叫びや
山が崩れる迫力の
ドライブ感たるや。
続く自由曲でも
九州熊本の荒ぶる菊池川を
モチーフにした
スケールの大きな演奏。
同じ高校生でここまで
表現できるのかと。
2曲でここまで観客を
ぐったりさせる音の洪水は
何なんだと。
やはりS県の心の河川
「荒川」の上流に住んでいる
「上流階級(?)」の
リアリティが出てるな、
と感動したものです。
※個人の感想です。って
もういいか。
ついでにいうと、
ソニックシティ大ホールで
数多くの合唱をききましたが
『ホールの地鳴り』を体感したのは
後にも先にもこの時だけ。
合唱部、いきおいで
入部しちゃったけど、
ちゃんとやろう。
と思い続けた15の夜。
勿論
何も盗んじゃいないが
大宮駅まで走り出す。
15の夜。
==============
ちなみに、
大学時代に入部した 混声合唱団に
この時の秩父高校のベースだった
K先輩という方がおられた。
以下、K先輩の回想。
☆当時秩父高校の全校生徒の
10人に1人が合唱部員という
くらいの比率の人気部活
だったとのこと。
☆県大会は4位金だったが、
全国大会は2位金だった。
しり上がりに調子を
あげたんだよ、あの時は。
とのこと。
☆毎年、関東大会の時期は
2年生が修学旅行の日程に
あたり、どっちを優先するか
悩ましい、とのこと。
(花形部活といっても
特別扱いしない
学校の姿勢もロックですな。)
☆感激した筆者の質問攻めに
K先輩「よく覚えてんねえ。
俺も気づかなかったよ。」
とのこと。
教訓 探究心はほどほどに。
感動は忘れずに
「音楽」を楽しもう。
おわり。
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