「また落葉林で」
立原道造
いつの間に もう秋! 昨日は
夏だつた……おだやかな陽氣な
陽ざしが 林のなかに ざわめいてゐる
ひとところ 草の葉のゆれるあたりに
おまへが私のところからかえつて行つたときに
あのあたりには うすい紫の花が咲いていた
そしていま おまへは 告げてよこす
私らは別離に耐へることが出來る と
澄んだ空に 大きなひびきが
鳴りわたる 出發のやうに
私は雲を見る 私はとほい山脈を見る
おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼ざし……
かえつて來て みたす日は いつかえり來る?
(詩集『優しき歌』/角川書店/1947年)
多田武彦作曲
『優しき歌』の4曲目、この詩。
小林秀雄作曲の
同じ詩での混声合唱版も
名曲だと思うが、
男声合唱でもやはり詩も曲もいい。
いつの間に もう秋! 昨日は
夏だつた……
この部分を歌うたび
思い出す言葉が
閾値(しきい-ち)である。
いろんな定義はあると思うが、
「かなり幅がある
ある臨界点の値」ということを
大学時代の文学の講義で習った
気がするが詳細は忘れました。
有名なのが
「あめのおとがきこえる
あめがふっていたのだ」
に代表されるような
「あ、雨が降ったなと感じる瞬間。」
びしょ濡れでもまだまだ、
という人。
ぽつり、と肩に感じたら
傘をさそうという人。
幅があっていい。
暦の上では
明確に夏と秋は
区別されていると思うが、
詩人の感覚では
いつのまに・・・
ということ。
そこに過ぎ去っていく
運命の「現在」。
そして
立ち去るしかない「過去」。
見えそうで見えない「未来」。
という時制をを感じる詩であるなあ、と
感慨深い。
大きなひびきが。
(汽笛、車輪の音)
出發。
(驛舎、時刻表)
ふたつのまなざし。
(レール)
など、軽井沢という
鉄道に深いかかわりのある土地で、
鉄道に思い入れのあった
詩人の気持ちが
ちりばめられている気がして。
思わず今はみることのできない
信越本線碓氷峠越えの風景を
思い出す。
参考までに。
参考までに。
物語の中にみる閾値を
感じたい方におすすめの映画。
90年代アジア映画界
最強のコンビと
筆者が
勝手に認めている
金城武とケリーチャン。
重要なシーンで
暖流と寒流が入れ替わるシーンが
印象的。
【参考サイト:Filmarks】
おわり。
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