1999年12月末。
世の中がY2K問題で
異様に盛り上がっていた
あの季節。

1994年10月に
男声合唱の初ステージで
多田武彦『雪明りの路』を
歌う機会に恵まれ、
すっかりこの詩人と作曲家に
ハマってしまった筆者。

演奏会には間に合わなかったが、
ひそかに、
冬の小樽近辺を歩いてやろうと
画策していた。

仕事が忙しく
何年か過ぎたときのこと。
年末年始の休暇を利用して
まとまった時間がとれる
機会が訪れた。
 
仕事仲間2人と、
北海道ニセコ町に住む知人を
スキーしがてら訪ねるツアーを
企画。

無邪気に「北海道スキーだぜ!」
と喜ぶ2人。

言ひださねばそれで忘れたのだと
思っているのか。

3泊4日の日程だったと思うが、
ニセコスキーを堪能し、
ニセコの知人とも旧知を温め、
大満足。

最終日、ニセコを朝出発し、
あとは新千歳空港に夕方までに
行くだけ、となったその時。

さも、今思いついたかのように
札幌行きの汽車の中で切り出す。

筆者
「いやあ、このツアーも
ずっと男ばかりで
疲れたでしょう。
ここらで自由行動にして
空港集合としましょうか。」

二人
「えー、そんなあ。
一緒に世紀末カウントダウン
した仲じゃん。どこ行くの?」

筆者
「あ、丁度小樽ですな。
ほな、さいなら。」

二人
「札幌でおみやげ買えばいいじゃん。」

詩人探訪のためなら
仕事仲間も中洲。

二人
「あ、そういうところ行くの?」

筆者
「ススキノでも
そういうところに
行かなかったでしょうが!」

さて、小樽の街では
まず行かねばならぬところがある。

郷土の偉大な文学者
小林多喜二伊藤整の2大コーナーが
あった。

やはり、地元の誇り、
人々の熱い思いが伝わる展示。
だから
地元の文学館巡りはやめられない。

さて、『雪明りの路』の楽譜を片手に
いよいよ小樽から余市までの旅にでよう。

小樽からはバスで蘭島まで出る。
昼間だが仕方あるまい。
冬の北海道の夜をなめてはいかん。

バスを降りるとすぐ海がひろがる。
小樽から三十分かからずに
この厳しい冬の北海道の風景。
おお、まさに

海は湾のうちに死んで・・・・

の世界だ。
 
海の青さと空の灰色、
吹きすさぶ風。風。風。
一面雪の風景。
関東人には答える寒さだ。

バス通りからちょっと入った丘に
伊藤整文学碑」が立っていた。
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地元の人には
あたりまえのモニュメント
かもしれない。
正月早々訪れる人もなく
真っ白い雪が
積もったままになっていた。

途中、地元の方と思われる
おばあさんとすれ違う。

おばあさん
「どこ行くんかい?
この先は、なんもないよ。」

あやしき男
「かくかくしかじか・・・。」

おばあさん
「はあ、関東から。
物好きやなあ。」

あやしき男
「もしやおばあさんのお名前は
シゲルさんではないですよね。」

おばあさん
「WHAT?」

白昼夢ではない。
とにかくすごい風景だった。
本当は蘭島から忍路まで歩いて
散策したかったが、時間がない。
img019
やむを得ず、
またバスに乗り
そこを通り抜けた。
img022
ああ、なんのための
遠い夜道だったろう。

2000年になり
sekainoowariになることもなく
ほっとした早々に
伊藤整の旅を
するなんて、
なんて贅沢だ。

誰も知るまいと
微笑んでみたのだ。

などど遊んでいるうちに、
余市に到着。

ここは、ニッカウヰスキー工場
訪ねないといかんな。

えらく趣のある工場に到着。
試飲もあるってきいたけど、
なんか、薄暗いぞ。

警備のおっさん
「正月3が日は休みだよ。」

涎をかくせぬ男
「・・・帰るか。」

大枠では満足な旅になり、
新千歳空港で仲間2人と
無事落ち合う。

二人
「小樽で『裕●郎記念館』にこっそり
いったんだろ?」

筆者
「・・・それをすっかり
失念しとった。」

数少ない旅の機会をとらえて
詩人探訪の行程を組むことの
楽しさを知った旅であった。

イメージをふくらませ、
それを歌で表現する。
なんて厳しくも楽しい路だろう。
なんて贅沢な活動の路だろう。

さて
多田武彦の楽譜を持って
今日もでかけよう。

おわり。


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