「紺屋のおろく」
北原白秋
にくいあん畜生は紺屋のおろく、
猫を擁えて夕日の浜を
知らぬ顏して、しやなしやなと。
にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢な指さき濃青に染めて、
金の指輪もちらちらと。
にくいあん畜生が薄情な眼つき、
黒の前掛、毛繻子か、セルか、
博多帯しめ、からころと。
にくいあん畜生と、擁えた猫と、
赤い入日にふとつまされて
瀉に陷つて死ねばよい。
ホンニ、ホンニ、……
(『おもひで』東雲堂書店/1911年)
語りつくされたかもしれないが、
『柳河風俗詩』。
恥ずかしながら
10年以上歌っていても
組曲の2曲目の
「紺屋のおろく」が
身体に入ってこなかった。
これでは、いけませんな。
改めて対峙。
#1
この組曲を貫く
大きなテーマの一つに
「水」を感じる。
「紺屋のおろく」を
もう一度眺める。
辞書をなめなめ。
【紺屋】
コンヤの転化したもの。
コンヤの転化したもの。
藍染を生業とするもの。
【筑前しぼり】
筑前風の絞り染め。
筑前風の絞り染め。
【濃青】
色や液の青の深い状態。
色や液の青の深い状態。
【毛繻子】
たて糸に綿糸。
たて糸に綿糸。
よこ糸に毛糸を用いた綾織。
【セル】
Sergeというオランダ語。
Sergeというオランダ語。
すき毛糸を主とした
単衣用の毛織物。
【瀉】
ここでは、柳河が面する
ここでは、柳河が面する
有明海の広大な干潟か。
藍染には大量のきれいな水がつきもの。
加えて、
筆者も藍染体験をしたことがあるが、
筆者も藍染体験をしたことがあるが、
何といってもあの独特の「匂ひ」。
藍染の特産阿波の国の藍玉屋から
移ってきた、と白秋は回想している。
有明海の干潟は、ムツゴロウでも
同じみ。潮の干満の差が激しい。
なるほど、「水」に溢れた詩だ。
#2
・・・さながら水に浮いた灰色の棺である。
北原白秋詩集『おもひで』序文
水郷柳河をモデルにしたと
いわれる福永武彦の『廃市』の
冒頭にも引用されている。
この小説の解説を読むと、
イタリアの詩人ダンヌンツィオの劇
『死都 La Citta morta』を
森鴎外が「廃市」と訳したのを
受けて、福永武彦がこの題を
つけたのだとある。
東京に出てきた白秋の
想い出の中で
死に絶えていくまち。
#3
同じく福永武彦の小説で、
「水」が重要なテーマになっている
『忘却の河』。
「忘却(レーテー)」とは、
「死」(タナトス)と
「眠り」(ヒュプノス)
の姉妹とのことで、
ギリシャ神話辞典に
のっているとのこと。
冥府の河の名前で、
死者はこの水を飲んで
現世の記憶を忘れるという。
都会の生活をしている主人公が、
昔の過ちを水によって
清められるという話。
物語を記すことによって
忘れるために思い出す主人公。
東京にあって
故郷のことを・・・。
#4
筆者の原体験。
祖父母の田舎は、
偶然だが、
有明海を挟んで
柳河と対峙している。
佐賀の小さな港町だが、
広大な干潟を眺めるのが
好きだった。
里帰りしたときは
堤防に座り
日がな一日有明海を
眺めていた。
特にかはたれ時の
風景が好きで、
海の向こうに
灯りがぽつりぽつりと
ともるのが好きだった。
これがホントの
不知火だったか、
今思うと。
地図でみたら
やっぱり間違いない、
あの灯りは柳河である。
有明海に見える蜃気楼、
不知火か。
赤い入日にふとつまされて
瀉に陷つて死ねばよい。
何を大げさな、
という表現かもしれないが、
干満の差が激しい
この海では、冗談とは
思えなくなってくる。
足元はぬかるんで取られる。
足元どころかはるか頭上まで
満ちてくる潮の軌跡。
足元はぬかるんで取られる。
足元どころかはるか頭上まで
満ちてくる潮の軌跡。
絶対に一人で
干潟にでちゃあ
いけないよ、って
祖父母にきつく
いわれてたっけ。
さて、
少々
独り言が長すぎたようだ。
次の機会には
うまく
ハモりたいものだなあ。
おわり。
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