おお、つひに私も
この歌と交わるときが来たのだ。
まだ筆者が青年時代、
この組曲の演奏を
当時のガールフレンドと
当時のガールフレンドと
座って眺めてゐたつけが・・・。
今は死語か、
「タダタケデデート」(笑)
その彼女も多田武彦が
大好きだったのよ。
もう時効だから、許して、と。
妻「フォローになっとらんぞ。
誰だ?」
若かりし日の
想い出ということでひとつ。
先に進もう。
多田武彦『ソネット集』
を歌っているときにも
感じたことであるが、
立原道造の人称には
要注意。
多田武彦の
『ソネット集』
『優しき歌』
から拾ってみる。
私、おまへ、
人、わたし、
おまえ、僕ら、
ひと、そのひと
人びと、私ら
だれか、
ときて
「優しき歌」の
終曲。
「みまかれる美しきひとに」
立原道造
まなかひに幾たびか
立ちもとほつたかげは
うつし世に まぼろしとなつて
忘れられた
見知らぬ土地に
林檎の花のにほふ頃
見おぼえのない
とほい星夜の星空の下で、
その空に夏と春の交代が
慌しくはなかつたか。
――嘗てあなたのほほゑみは
僕のためにはなかつた
――あなたの聲は
僕のためにはひびかなかつた、
あなたのしづかな病と死は
夢のうちの歌のやうだ
こよひ湧くこの悲哀に灯をいれて
うちしほれた乏しい薔薇をささげ
あなたのために
傷ついた月のひかりといつしよに
これは僕の通夜だ
おそらく(は)あなたの記憶に
何のしるしも持たなかつた
そしてまたこのかなしみさへ
ゆるされてはゐない者の――
《林檎みどりに結ぶ樹の下に
おもかげはとはに眠るべし》
(「優しき歌」1947年/角川書店
【国立国会図書館
デジタルコレクション】より)
はじめて、「あなた」が出てくる。
ささいなことだが、
建築家の立原道造が
言葉遣いを無意識に使うはずが
ないと思う。
そんなことを考えつつも
いい音を鳴らし切りたい。
「傷ついた月の・・・・
通夜だ・・・・」
や
「林檎みどり・・・」など
セカンドテナーの腕の
見せ所ですね。
何があってもセカンドは
トップに食らいついていけ(笑)
(注:筆者は当然セカンドです。)
おわり。
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