「雲の祭日」
立原道造
羊の雲の過ぎるとき
蒸氣の雲が飛ぶ毎に
空よ おまえの散らすのは
白い しイろい絮(わた)の列
帆の雲とオルガンの雲 椅子の雲
きえぎえに浮いてゐるのは刷毛の雲
空の雲……雲の空よ 青空よ
ひねもすしイろい波の群
ささへもなしに 薔薇紅色に
ふと蒼ざめて死ぬ雲よ 黄昏よ
空の向うの國ばかり……
また或るときは蒸氣の虹にてらされて
眞白の鳩は暈(かさ)となる
雲ははるばる 日もすがら
(『立原道造詩集』/岩波書店/1988年)
忘れられない曲との
出会いというものがある。
詩も旋律も
決して派手ではないが
歌い手の心を離さないのである。
多田武彦作曲の
立原道造「ソネット集」の中の
佳曲「雲の祭日」。
娘「つまらない宵なら、待つ。」
父「おーそれ有名な回文じゃないか。
まさに、じっと待てば
印象も変わってくるもんよ。」
他の有名な曲に挟まれて
最初はあまり歌っていて
ピンとこなかったのだが。
ピンとこなかったのだが。
しかし、練習の臨界点が近づくにつれて、
どんどんその存在感を増していったのである。
どんどんその存在感を増していったのである。
岩波文庫の「立原道造詩集」には
同じ「未刊詩篇」の頁に
雲について書かれた詩がのっている。
立原道造における「雲」の存在を垣間見ることが
できるかもしれない。
「静物」
立原道造
堡塁のある村はづれで
広い木の葉が揺れてゐる
曇つた空に 道は乾き
曲ると森にかくれた 森には
いりくんだ枝のかげが
煙のやうだ
雲が流れ 雲が切れる
かがやいてとほい樹に風が移る
僕はひとり 森の間から
まるい石井戸に
水汲む人が見えてゐる
村から鶏が鳴いてゐる
ああ一刻 夢のやうだ
(『立原道造詩集』/岩波書店/1988年)
話は戻って、
「ささへもなしに
薔薇紅色に
薔薇紅色に
ふと蒼ざめて死ぬ雲よ 黄昏よ
空の向うの國ばかり……」
ここのハーモニーの展開が最高。
男声合唱やってて良かったぁ
セカンド冥利に尽きるぞ。
となる瞬間である。
となる瞬間である。
「また或るときは
蒸氣の虹にてらされて
眞白の鳩は暈(かさ)となる
雲ははるばる 日もすがら」
暈(かさ)とは
時々太陽の周りに見える
ドーナツの形の光。
半円形でもあるとのこと。
あれあれ、まるで
あの存在みたい・・・。
雲を見ていると
いろいろ想像が膨らむねえ。
雲を見上げる時は
どんな時。
どんな時。
何かを考えたいとき。
想い人を想うとき。
そして
涙がこぼれないように
したいとき。
でしょうか。
『ソネット集』のちょうど
折り返し地点のこの曲。
聴くときも歌うときも
この曲を楔にして
風の中を駆け抜けたい。
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