【その1】

組曲第Ⅵ曲。
 
「鐘鳴りぬ」 
   三好達治

聽け
鐘鳴りぬ
聽け
つねならぬ鐘鳴りいでぬ

かの鐘鳴りぬ
いざわれはゆかん

おもひまうけぬ日の空に
ひびきわたらふ鐘の音を
鶏鳴か五暁かしらず

われはゆかん さあれゆめ
ゆるがせに聽くべからねば

われはゆかん
牧人の鞭にしたがふ仔羊の
足どりはやく小走りに

路もなきおどろの野ずゑ
露じもしげきしののめを
われはゆかん
ゆきてふたたび歸りこざらん

いざさらばうかららつねの
日のごとくわれをなまちそ
つねならぬ鐘の音聲
もろともに聽きけんをいざ
あかぬ日のつひの別れぞ わがふるき日のうた――
(『朝菜集』/青磁社/1943年)

【その2】
三好達治は1939年2月から
1944年2月まで
神奈川県小田原市に住んでいた。
『みやこ』からみると
『東国の詩人』。

【その3】
万葉集に登場する
防人(さきもり)の歌。

⇒「崎を守る人」の意味。
 663年白村江の戦で
 唐・新羅連合軍に敗れた後、
 東国出身者を中心として
 九州の大宰府一帯に赴任した。
⇒赴任の際は、
 難波まで自力で到達し
 それから船で
 筑紫の国に向かった。
⇒海辺の守備のほかに
 付近の空き地で
 農作していたとのこと。
⇒その防人とその家族が
 詠んだのが『防人歌』。
⇒九十八首が収められている。
⇒防人統括の役人
 兵部小輔
 (ひょうぶしょうゆう)に
 大伴家持
 (万葉集の編者説が有力。)
 が就任していたから
 これらの首が収められた、
 との説が有力。
 

【その4】
防人歌の最大の特徴は、
「和歌に身分や階層の
 垣根はなかった。」こと。
また、「家族との離別」
「望郷の思い」
 が溢れていることも特徴。

【その5】
三好達治は1952年に
吉川幸次郎と共著で
「新唐詩選」を発表。

李白、杜甫、
王維などの詩が多い。

【その6】
杜甫(とほ)712~770。詩聖。

早くから文才を現したが、
科挙には何回も落第。
なかなか仕官できず、
悲しみと社会へのいらだちを
かかえていた。

安禄山の乱(755年)のあと、
忠誠心が認められ、
皇帝を諫める官につく。
しかし職務に忠実すぎたため
皇帝から疎んじられ
地方に左遷される。

翌年官をすてて
成都に逃れる。

しかし成都も
戦乱に巻き込まれる。
再び放浪の旅に出て、
悲壮な詩、社会の矛盾に対する
憤りの詩、民衆の悲しみの詩
などを詠み続けた。

杜甫の人生を現したことばに
「杜甫、一生愁(うれ)う」
というものがある。
故郷の長安に帰ろうとした
道中、湘江の船の中で死んだ。

【その7】
李白も酒飲み。
杜甫も酒飲み。


おわり。


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