「百舌(もず)」
   三好達治

槻(つき)の梢に 
ひとつ時默つてゐた
分別顏な春の百舌

曇り空を高だかと
やがて斜めに川を越えた
紺屋の前の榛(はん)の木へ……

ああその
今の私に欲しいのは
小鳥の愛らしい 一つの決心
(『閒花集』四季社、1934年)

百舌は秋の季語。
秋は別れの季節だなあ。

この曲集の冒頭三曲「揚げ雲雀」「鶯」
そして「百舌」。
すべて『閒花集』から採られた。
三詩に共通するのは
梶井基次郎を喪った悲しみ。

特にこの詩は
そして自身の体調も悪化した時期に
よまれている。
そのため、生死や天上との対話、
距離感などをすべて四行詩に凝縮して
吐き出した感がある。

ここまで莫逆の友とはいえ、
他人の死に嘆き
それを形にできるか。
言葉に力をこめられるか?

その詩人三好達治の
絶望や性の深さに
眩暈を覚えるほど
感慨深い。

それだけの存在のものを
我が人生に持てるか?

風の中に
今日も私は問いかける。

「鳥の歌」の曲集で
一度も出てこない単語「風」。
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しかし鳥とともにあるのは風。

こんなに近い存在なのに
見えない。
しかしその存在は感じている。
すべての詩の中に
風を感じている。

多田武彦の「百舌」の曲は
ゆらぎながら風を感じて
流れていく。

流れていくのだ。

おわり。