「揚げ雲雀」

       三好達治

雲雀の井戸は天にある……
あれあれ
あんなに雲雀はいそいそと
水を汲みに舞ひ上る
杳かに澄んだ靑空の
あちらこちらに
おきき
井戸の樞(くるる)がなつてゐる

『閒花集』四季社/1934年


一点鐘。
詩集『閒花集』は
1934年7月に刊行。
莫逆の友
梶井基次郎の墓前に捧ぐ詩集と
三好達治が明言しているもの。
1932年3月に
梶井基次郎は逝ってしまった。
すぐに「友を喪う」四章を
文藝春秋5月号に
発表したのだけれど。

自身も喀血を発症したり、
強度の
神経性心悸亢進症に悩んだ。
生命の危機でもあった
激動の数年だったようである。


二点鐘。
揚げ雲雀ってなんだ?
繁殖期が始まると
オスが囀りながら
高く上がって行く
「揚げ雲雀」と呼ばれる
縄張り宣言の行動は
古くから親しまれているとのこと。


「声はすれども姿は見えず」と
いわれるように、
もう天高く昇ってしまった
莫逆の友の姿を達治は
重ね合わせたのかもしれない。


空を見上げれば涙を隠せるかもね、
とは日本人には
ピンとくる表現かもしれない。


三点鐘

大伴家持
うらうらに照れる春日にひばり上がり
心悲しもひとりし思へば

『万葉集』巻19-4292(753年)


(大意)
のどかに照る春の日差しの中を、
雲雀が上がって飛んで鳴いている。
そのさえずりを耳にしながら
一人物思いにふけっていると、
なんとなく物悲しくなっていくものだ。


三点鐘。
シェイクスピアの
「ロミオとジュリエット」の中でも
象徴的なひばりの
イメージが語られている。


ナイチンゲールは夜、
一緒にいられる時間の象徴。
ひばりは朝、別れの時間の象徴。


四点鐘。
多田武彦作曲の1曲に
印象深い1曲がある。

『緑深い故郷の村で』(伊藤整)
の中の「壽(ひさし)に」。

伊藤整の幼き弟が12歳で病気で
亡くなってしまった葬式の帰りに
つくられた詩をもとに作曲された。


伊藤整ら兄弟が焼き場の帰りに
病弱だった弟を思うとき
「ひばりらが幾筋も啼いて空に昇る」
というフレーズがあって、
しみじみとした印象を残した。


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この「挙げ雲雀」
ひばりへのさまざまな
イメージをこめた達治の詩にもよめる。

梶井基次郎を失った
深いさみしさを
表現しているか。

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私にも大学時代以来の
莫逆の友がいる。
文学青年だった二人も
今ではすっかり文学中年になった。

1年に1回くらいしか
旧交を温めることはできないが、
私の話を笑って聴いてくれて
二十歳そこそこの文学青年に
一緒に戻ってくれる。


それがいい。
そこがいい。


おわり。


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