いよいよあと7日間で企画展が
終わってしまう。
鎌倉文学館特別展「マボロシヲミルヒト」

以前本ブログでも紹介した萩原朔太郎。

白秋につづく詩の巨人として、その存在感は多大なものがあるだろう。
娘萩原葉子がしるした
「父・萩原朔太郎」(1979年中央公論社)
を読んだ。
その中で、
父の遺品を整理した話がある。

ソフトとクツ、
ギタアとマンドリン。

葉子の回想では、
マンドリンを教わったのが
父との数少ない思い出だという。
朔太郎はギタアをひきながら
マンツーマンで教えたという。
音楽は正確なテンポと感情だよと
云っていたのだと。
マンドリンを教え終わった後、
独りで古賀政男の歌を感情豊かに
ぶつけるように弾きまくっていた。

丸山薫が後に回想するように
朔太郎は、功なし遂げた後でも
満たされぬ青春の想いを
夜ごと飲み歩いてぼろぼろになって
終電車の吊革にこうもりのようにぶらさがって
「悲しく、悲しく、また悲しく」
となっていた、という。

晩年の朔太郎の姿は
娘にはどう映っていただろうか。

その古びたギタアの
フレットを見ていると、
二短調が好きだったんだなあ、
と分かるくらい、
そこだけ白くなっていたと。

嗚呼、父の声だ。

「父が庭にゐる歌」
   津村信夫

父を喪つた冬が
あの冬の寒さが
また 私に還つてくる

父の書齋を片づけて
大きな寫眞を飾つた
兄と二人で
父の遺物を
洋服を分けあつたが
ポケツトの
紛悦(ハンカチ)は
そのまゝにして置いた

在りし日
好んで植ゑた椿の幾株が
あへなくなつた
心に空虚(うつろ)な
部分がある
いつまでも殘つている

そう云つて話す 兄の聲に
私ははつとする程だ
父の聲だ――
そつくり 
父の聲が話してゐる
私が驚くと
兄も驚いて 私の顏を見る

木屑と 星と 
枯葉を吹く風音がする
暖爐の中でも鳴つてゐる

燈がともる
云ひ合せたやうに
私達兄弟は庭の方に目をやる
(さうだ 
  いつもこの時刻だつた)
あの年の冬の寒さが
今 庭の落葉を
靜かに踏んでくる
(『父のゐる庭』臼井書房/1942年)

思い出は語り継がれて歴史となる。

筆者がいつか死んでも
娘は、父が所持していた
多田武彦の楽譜を見て、
「父は♭一つ、♭二つ、
♯一つの歌が好きだったんだなあ」と
ときには思い出してくれるだろうか、

俺の墓参りには、
多田武彦の楽譜を飾り、
墓石には酒をかけてくれれば
それでいい。
きっとまだ飲み足りないから
ちょうどいいや。

ま、まだまだ現世で
歌い足りないから
当分先の話だが。

遠く行け、娘よ。
俺をこえて遠く行け。

おわり。

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