いちど本ブログでも書いていますが
別の切り口で。

「そうか、きみは
ただただただたけだけだっけ?その弐」


本ブログを書くきっかけとなった
多田武彦『わがふるき日のうた』の終曲。


「雪はふる」

   三好達治

海にもゆかな
野にゆかな
かへるべもなき身となりぬ
すぎこし方なかへりみそ
わが肩の上に雪はふる
雪はふる
かかるよき日をいつよりか
われの死ぬ日と願ひてし

(『砂の砦』臼井書房/1946年)


福井県ふるさと文学館



こちらは福井県立図書館との
複合施設になっていて、
常設展示や映像ブースがありました。


実は、映像ブース、結構苦手で
スルーすることが多いのですが、
この時は、たまたま
三好達治「雪はふる」の朗読と
三国にふる雪の風景の映像が
流れてきたのです。

思わず映像ブースに
入ってしまいました。

三国地方は、
寒すぎて雪が斜めにふるが
積もらないそうです。
映像でも斜めに雪が降りしきって
いました。


まるで、飲んでも飲んでも酔えない酒
のようではありませんか。

毎日が初耳
やはり百人一首の中に
この詩のような心境かな?
と思われる一首があります。

花さそふあらしの庭の雪ならで
ふりゆくものはわが身なりけり


入道先太政大臣
藤原(西園寺)公経(きんつね)


(大意)花を誘う嵐の庭はまるで
雪景色みたいだが「ふりゆくもの」
とは、この散り敷いた桜の花では
なく、まさにわが身のことだなあ。


作者は承久の乱に後鳥羽院に
捕まえられたが、
後堀河即位とともに
返り咲き
従一位太政大臣にまで
のぼりつめて栄華を極めた。

しかし、今は年老いたよ。
という心境の一首。


挫折も栄光もそして実らぬ愛も
経験した達治は、
花、雪、わが身を重ねあわせて
この詩を作ったのではないでしょうか。


テナーソロに聴き入ってしまい、
細かい音符の動きが乱れがちな
自分であるが、
気持ちはちりぢりにみだれつつも
音は正確に歌いたい。

名曲です。

おわり。


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