いよいよである。
またまたいよいよの
登場である。
所用があって
関西方面にでかける用事が
できたのである。
しかも家族でUSJ。
娘の卒業旅行積み立ては
夫1娘1の2人分だったが
急きょ妻も参加できることになり
「サンライズ出雲」は即刻却下され。
3人が楽しめる行き先になったの
である。
妻「ただの家族旅行を
もったいつけて・・・。
早く2人分の予約を
変更しにいかんか。」
娘「ハリ●タの魔法つかうの楽しみ~!」
父「いや、まてよ、こんな間際に
もう同じ飛行機はとれんぞ。
やむなく、別行動で現地集合か。」
妻「あんた、京都鉄道博物館にいくつもりやな。」
父「なぜそれを!!」
妻「ばればれじゃあ。
あんたが毎晩酒の肴に読み耽っている
その時刻表のP1にでかでかと
広告がのっとるぞ。」
父「すんません。大阪駅集合でひとつ。」
2人「ウム。」
というわけで
念願の京都鉄道博物館に行き、
こっそりもうひとつ
大阪のとある場所を訪れたのである。
三好達治記念館
【大阪府高槻市の本澄寺(ほんちょうじ)】
※高槻市観光協会のHPはこちら。
阪急上牧(かんまき)駅
下車徒歩10分あまり。
隣の高槻市駅の喧騒をはなれ、
ひっそりとした住宅街の中にありました。
おりしも天気は雨。
あらかじめ記念館の見学には
予約が必要とのこと
だったので、
電話したのだが
生憎境内でイベントがあるとのことで
見学はできないとのこと。
しかし、予定もずらせんし・・・。
本澄寺の中は自由に見てもO.K.
とのことだったので、
三好達治のお墓参りをしました。
ひっそりと、
ひっそりと、
緑の樹々に囲まれて
それはありました。
しばし頭を垂れ
今週末に歌う
多田武彦『わがふるき日のうた』
の中の「甃のうへ」を
歌いました。
「甃のうへ」
三好達治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
(『測量船』第一書房/1930年)
落ち着いたのどかな風景
境内には緑色の釣鐘があり。
イベントの準備をしている
地元の皆さんを眺めながら
しばし佇み
物思いに耽りました。
「枕上口占(ちんじょうこうせん)」
三好達治
私の詩は
一つの着手であればいい
私の家は
毀(こは)れやすい家でいい
ひと日ひと日に 失はれる
ああこの旅の つれづれの
私の詩は
三日の間もてばいい
昨日と今日と明日(あす)と
ただその片見であればいい
(『艸千里』四季社/1939年7月)
いろいろあって
落ち込んだ最近の生活でしたが
生き残った人間の誇りとして
突破せねばならぬ時も
あるよなあ、と
決意をあらたにした旅でした。
妻「早く大阪駅に集合せんか!」
父「いや、阪急梅田駅の日本一
横に長いターミナル駅を
見学していたら
遅くなってさ。同じフロアに
9番線まであってさあ・・・。」
妻「大阪にきた意味を思い出させて
やろうか?」
妻の左手がゆっくりと円を描くとき
最後まで見れる夫はいなかったとさ。
おわり。
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