「視線」よりも「まなざし」
という言葉が好きだ。
十代は混声合唱組曲『季節へのまなざし』
に出逢い、夢中になった。
二十代は男声合唱組曲『やさしい魚』
に出逢い、夢中になった。
特に三曲目「天使」。
♪まなざしだけがみえる
めのかたちでなく~。のうた。
♭7つのCes-Durという調性で
天使のまなざし
#2つのD-durという調整で
現実の世界の人のまなざし
を描き分ける
作曲者の世界観に衝撃を受けたものである。
そんなある時点の風景を
異なる視点でかき分けた
三好達治の詩が二つある。
そのキイワアドは「まなざし」。
「毀(こは)れた窓」
三好達治
廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる
硝子のない硝子戸越しに
そいつが素的なまつ晝間だ
波は一日ながれてゐる
その額?に
ポンポン船がやつてくる
灰色の鴎もそこに集つて
何かしばらく解けない謎を
解いてゐる
あとはまたなんにもない靑い海だが
それがまた何とも妙に心にしみる
ぽつかり一つそんな時
鯨がそこに浮いたつて
よささうな鹽梅風にも見えるのだ
それをぼんやり見てゐると
どういふものか
俺の眼にはふと故鄕の街が
うかんできた
古い石造建築の
どうやら銀行らしいやつの
くつきりとした日かげを
俺が歩いてゐる
まだ二十前の俺がそれから廣場を
また突切つてゆくのだ
ああそれらの日も
もうかへつては來なくなつた……
そんな思出でもない思出が
随分しばらく俺の眼さきに
浮んでゐた
どういふ仕掛けの窓だらう
何しろこいつは素的な窓だ
丘の上の
松の間の
廢屋のこはれた窓から
五月の海が見えてゐる
(『一點鐘』/創元社/1941年)
「機関車」
三好達治
機関車がとまつた、ごくんと一つ
吃逆(しゃっくり)をして機関車が
とまってしまった。
断崖にかけた勾配の途中。
波が聞える、また波が砕ける。
海は遠く煙つてゐる。
客車の窓から首が出る、肩がのり出る。
海の上を燕が飛んでゐる。
機関車の釜鳴りが、月夜の夜蝉のやうだ。
やがてそれもかすれて行く。
しんと鳴りをしづめてしまふ。
まるで列車が玩具のやうに思はれる。
たまたま風景絶佳、
草の中から虫が啼きはじめる、
巌の上に天牛虫(かみきり)がゐる。
……人はめいめい、
自分らの到着駅をかんがへる。
機関車の方で声がする、
声がもつれる、風が吹く。
少少ひまがかかるらしい。
子供がデッキに立って海を見てゐる、
飴玉をしやぶりながら。
渚に人が集る、
五人六人漁村の男女が
こちらを見て話し合つている。
その一人の胸から、猫が一匹ひらりと
浜にとび下りる。
軌条(レール)に空が映ってゐる、
それを前にして機関車がとまつてゐる。
淡い煙を吐いて、背中に陽炎をたてて、
黒く光つた機関車に、
機関手が金槌をあててゐる。
そして何だか仲間に呼びかけてゐる。
そいつを眺めながら、火夫が二人
草の上に腰を下ろしてゐる。
頸筋に手拭をかけて。
捕鯨船ですよ、―――と誰かが云ふ。
なるほど変な形の船が沖を渡ってゐる。
もしもあの船から、
あの船の甲板から
望遠鏡(めがね)を翳(かざ)して、
誰か監視者がこちらを
もしも眺めてゐるとしたら……。
(『霾』【合本詩集『春の岬』に所収】/創元社/1939年)
①「機関車」は1934年。
②「毀れた窓」は1941年。
①は激動の年。1月に佐藤智恵子と結婚。
10月に堀辰雄、丸山薫の
三人共同編集として
津村信夫、立原道造を同人に加えた
詩誌「四季」を創刊。
10月末に、出奔していた父が死去。
12月和歌山県で長男誕生。
翌年3月まで佐藤智恵子の実家の
和歌山県下里町に滞在。
この年に作られた散文詩。
②2年前の1939年2月に
小田原に転居している。
3月には立原道造を喪う。
1940年には則武三雄と2ヵ月の朝鮮旅行に
でかける。
1941年9月に師萩原朔太郎の後任として
明大文芸科の講座の講師を担当。
この年に発表された詩。
「機関車」は、
おそらく和歌山から東京までの間の
太平洋側の海辺沿いでの
アクシデントだっただろう。
鯨といえば和歌山の
可能性が高いと思うが。
当時の陸送の花形である機関車が故障、
それをとりまく人々の
どこかのんびりとした
あわてっぷりがユーモラス。
そして近づいてくる捕鯨船。
そこからの「まなざし」を一身に受けて、
みられている自分。
この近くにいただろう
(甲板の上に捕まっていたか?)
鯨のまなざしも
受けていたと達治は感じたのではないか。
そんな経験をもとに、
「毀れた窓」 では、
小田原の海を眺めていて
ポンポン船がやってきて、
ふと「まなざし」を感じたんだろう。
あ、あのときの捕鯨船かなあ、と。
もしかしたら、また鯨もか、と。
船、鯨、そして海。
それらの存在が
「まなざし」を起点として
映画「マトリックス」の
あのシーンのように
ぐるりと回転したのかもしれない。
視点が変わるとみえる風景も変わる。
でも「まなざし」は変わらない。
おわり。
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