鎌倉文学館の
朔太郎展「マボロシヲミルヒト」を
堪能してから、新宿までの所用まで
4時間余り。
さて、どうしたものか。
自然と足は(電車は)
世田谷に向かっていた。
朔太郎が1933年に移り住んだ
世田谷区代田。
鉄塔の近くに
自らの設計による家を建て、
住んでいたという。
都会の空に映る電線の青白いスパークを、
大きな青猫のイメーヂに見てゐる
萩原朔太郎
と鉄塔を見下ろす遊歩道の
句碑に刻まれていた。
故郷前橋に鉄塔も空も想いも
つながる、でも離れている。
そんな晩年、
長年洋装だった朔太郎は、
和装を好むようになったという。
文学館の展示にも写真があった。
1942年2月急性肺炎で息を引き取った。
時は流れて1949年2月。
三国での生活を終え、
三好達治が単身世田谷区代田に
移ってくる。
そして終生そこをはなれなかった、
と言われているが、
その縁で三好達治の文学顕彰碑も、
朔太郎の句碑のすぐ近くに立っていた。
「閑窓一盞」(かんそういっさん)
三好達治
憐むべし糊口に穢れたれば
一盞は
まづわが腹わたにそそぐべし
よき友らおほく地下にあり
時に彼らを憶ふ
また一盞をそそぐべし
わが心つめたき石に似たれども
世に憤りなきにしもあらず
また一盞をそそぐべし
露消えて天晴れる
わが庭の破れし甕に
この朝来りて水浴ぶは
黄金褐の小雨鶲
小さき虹もたつならし
天の羽衣すがしきに
なほ水そそぐはよし
また一盞をそそぐべし
信あるかな爾
十歳わが寒庭を訪ふを替えず
われは東西南北の客
流寓に疲れたれども
一日汝によりて自ら支ふ
如何にために
又々一盞をそそがざらでやは
(『三好達治詩集』/河盛好蔵編
新潮文庫/1951年2月)
また一盞(いっさん)をそそぐべし
→また一杯酒をつぐか。
達治さん、結構飲んだくれてますね。
いろんな思いをサカナに。
小鳥を友達にして。
でも、いちばん大切にしたのは
先に亡くなった師匠が建てた家、
師匠の思い出、
師匠が創りだした詩の数々への
恋慕といってもよい強い情念。
それが、達治に師匠朔太郎への
想い出がたくさんつまった
この地へ住まわせた
独り暮らしの
酒三昧生活だったのかな、と
ひとりごちてみる。
最後に、
もう跡形もないと思うが、
達治が住んでいたと
思われる界隈を
散歩してみた。
よく編集者が道に迷った
という伝説があったという
どうということはない住宅街。
まさに
「群衆という中の孤独。」
あれ、この感覚って
萩原朔太郎の散文詩
「群衆の中に居て」
ぢやない?
おわり。
コメント