三好達治は京都にあった
第三高等学校時代に
ニーチェ、ショーペンハウエル
ツルゲーネフを読み、
萩原朔太郎「月に吠える」に
傾倒してからは、
室生犀星、堀口大學も
読んだとのこと。
傾倒すればおのずとその詩作に
影響がでるのも当然のこと。
室生犀星「春の寺」の本歌取り
三好達治「甃のうへ」。
(以前当ブログでも取り上げました)
今回は逆のパターンかな?
と思われるものの紹介。
以前、拙ブログでも取り上げたことがある詩です。
「昨日はどこにもありません」
三好達治
昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の抽出しにも
こちらの机の抽出しにも
昨日はどこにもありません
それは昨日の写真でせうか
そこにあなたの立つてゐる
そこにあなたの笑つてゐる
それは昨日の写真でせうか
いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日はどこにもありません
昨日の部屋はありません
それは今日の窓掛けです
それは今日のスリッパです
今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと
いいえ悲しくありません
何で悲しいものでせう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか
昨日はどこにもありません
そこにあなたの立つてゐた
そこにあなたの笑つてゐた
昨日はどこにもありません
(『測量船』/南北書園/1947年1月
「測量船拾遺詩十四篇」を加えて出版された)
「昨日いらつしつて下さい」
室生犀星
きのふ いつらしつてください。
きのふの今ごろいらつしつてください。
そして昨日の顔にお逢ひください、
わたくしは何時も
昨日の中にゐますから。
きのふのいまごろなら、
あなたは
何でもお出来になつた筈です。
けれども行停りになつたけふも
あすもあさつても
あなたには
もう何も用意してはございません。
どうぞ きのふに逆戻りしてください。
きのふいらつしつてください。
昨日へのみちはご存じの筈です、
昨日の中でどうどう廻りなさいませ。
その突き当りに立つてゐらつしやい。
突き当りが開くまで
立つてゐてください。
威張れるものなら
威張つて立つてください。
(『昨日いらつしつて下さい』/
1959年8月/五月書房
直接読んだことはないが、
あちこちで
紹介されている内容として
萩原朔太郎全集の解釈をめぐって
犀星と達治は
つかみあいになり
喧嘩別れした。
そのまま絶交状態だったが
犀星が先になくなったとき
通夜に羽織袴でふらりとあらわれ
いつまでもいつまでも
酒を飲み、故人の才能を惜しんだ
という。
まさに強敵とかいて「とも」と呼ぶ。
そんな関係だったのだろう。
「本の手帖 1964年6月 No.35
特集:三好達治追悼号」に
その記事が
掲載されているとのこと。
そういう関係の人を生涯で
何人持てるだろうか。
達治の強敵(とも)といえば
第三高校時代に邂逅した
丸山薫だろう。
多田武彦作曲「航海詩集」の方。
達治と「海」との作風に
多大なる影響を与えた人物と
とらえているのだが。
この解説はいずれまた・・・。
まだ書くことに踏み切れず。
オール関学グリーの演奏と
改訂版楽譜は入手し、
涙しながら鑑賞しているのですが。
機が熟したら、きつと。
おわり。
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