我が家では、
まだまだ回文が
流行っている。
小学生相手の
言葉遊びには
有効かなと思って
いるので、
よしとしたい。
今日は休日出勤の振り替えで
仕事が休みだから
仕事のことを忘れて
ぱーっと男声合唱を
聴こうか。
父「言うほどに、敵があがきて
二度包囲。」
父「血眼な街。」
父「なだめたの、身のためだな。」
父「今の二の舞。」
父「無いよりよいな。」
父「寝てんなよ!なんてね。」
父「もうええか?」
妻「・・・仕事でなにかあったんか?」
父「いえ、たまたま入った喫茶店に・・・。」
妻「前もそれ聞いたが、
まさか神田と御徒町の間あたりの
喫茶店ではあるまいな?」
父「なぜ私の行動が・・・。」
妻「ばればれじゃあ!!」
さて、かように回文のように
常に物事は
スパイラルに戻ってくる
ものである。
その「必ず帰ってくる」感が、
古き良き児童文学の
お約束でもあり
そこがいい。
常に過去との対話で
テキストを詠み込むことが
楽しいのである。
「砂上」
三好達治
海 海よ
お前を私の思ひ出と呼ばう
私の思ひ出よ
お前の渚に
私は砂の上に臥よう
海 鹹からい水 ……水の音よ
お前は遠くからやつてくる
私の思ひ出の緣飾り
波よ 鹹からい水の起き伏しよ
さうして渚を嚙むがいい
さうして渚を走るがいい
お前の飛沫で私の睫を濡らすがいい
(『閒花集』/四季社/1934年)
【この小詩集を
梶井基次郎君の墓前に捧ぐ】
この詩集が発表される2年前に
莫逆の友、梶井基次郎が逝く。
自身も喀血病で入院中だった。
その報を聴き追悼詩『友を喪う』
を発表した。
しかし達治は、
強度の神経性心悸亢進症にかかって
しまう。発哺温泉や上林温泉などで
療養し、1934年1月に佐藤智恵子と
結婚。など激動の人生を送っていた。
そのなかで、ひとつの区切りとして
だした詩集だったのだろう。
まだ小田原に
転居(1939年)する前だから
この詩集で舞台となる詩は次の
2つに分けられるだろう。
小田原以前(1.砂上、2.子羊)
・・・思い出の中にある
海という存在への思い。
小田原以後(3.涙、4.この浦に、
5.鷗どり、6.既に鷗は、
7.ある橋上にて、)
・・・南国小田原の
実際の海を望んでの思い。
さて、「砂上」であるが、
海に関する歌としては、
有名な高田三郎『水のいのち』
特に「4.海」「5.海よ」も
あわせて味わうとイメージが
広がり楽しい。
海といえば、
「寄せる」「波」を筆者などは
すぐイメージしてしまうが、
大(おほ)海の磯もとどろに寄する波
割れて砕けて割けて散るかも
金槐和歌集/源実朝
など、ね。
それを敢えて使用しないところが
達治の非凡な才能であるか。
また、『掛詞』『縁語』も確認する。
『掛詞』
「波」と「無み」
『縁語』
「音→波」「波→かけ→濡れる」
「波で濡れる→涙で濡れる」
というイメージがふくらんでくる。
直截的には「波」は書かれていないが
「思ひで(莫逆の友の喪失を中心に)」と
「泣いているだろう達治の想い」を
書いた詩だなあ、と味わいたい。
妻「しかし、この曲のタグは、
すごい印象的だね。」
父「うむ、思わずCDプレーヤーを
振り返ってしまうよなあ。」
おわり。
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