我が家で瞬間、
回文が流行ったことがある。


父「相談とはとんだ嘘。」
娘「そうだんとはとんだうそ。
  ほんとだ!」
父「まだ恋し仲は遠のきて、
  消えた言葉と答え、
  汽笛の音は哀しいこだま
。」
娘「(略)すごーい!」
妻「どこで仕入れたんだその回文。」
父「いや、たまたま入った喫茶店に
  置いてあった本に書いてあった
  んだよ。」
妻「ふーん。何かアヤシイナ。」
娘「出た!疑惑のスペイン旅行。」
父妻「それを言うなら
    『魅惑のスペイン旅行』じゃあ!」
父「回文といえば、
  若者に人気の作家
  西尾維新
  回文の仕掛けがあるんだぞ。」
妻「にしおいしん?どこが?」
父「ちっちっちっ。ローマ字で書いてみ。
    ヘボン式でないほうでな。」
妻「NISIOISIN。ホントだ。」
父「この方は、書く文章の
  文字数をきっちり
  あわせて改行したりして、
  意味だけでなく見た目
  でも素晴らしい表現を
  されておるのじゃ。」


それで思い出したが、
意味だけでなく、
文字数を合わせて
改行するという離れ業を
成し遂げていた詩人として
筆者の頭にあったのは
山村暮鳥であった。


「風景  
  純銀もざいく」
   山村暮鳥

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな

(詩集『聖三稜玻璃』/にんぎょ詩社
  1915年12月)
 
なんたるこの様式美。
眼を閉じれば、
なのはなに圧倒され
眩暈がしそうである。

そんな詩人であるが
多田武彦曲集5に
『山村暮鳥の詩から』
が収められている。

印象的なのは
終曲。
歌詞は見開き2P以上
もあり、長い。


「走馬燈」

   山村暮鳥

ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる

――走馬燈がまはりはじめた

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 ゐなかのおぢさん
 だいじな、だいじな
帽子を風めに
 ふきとばされたよ
  さあ、たいへん

 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる

 ゐなかのおぢさん
 くるりとまくつた
 お臀がまつくろけだ
鍋底みたいだ
  すたこら,すたこら

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 おうい、おうい
 おいらのちやつぽだ
 だいじなちやつぽだ
 けえしてくんろよ
  すたこら,すたこら

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 それでも風めは
 へんじもしなけりや
 みむきもしないで
 とつとと逃げてく
  どうしたもんだべ

 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる

 ゐなかのおぢさん
 あんまり
心配しないがよかんべ
鴉が笑つてら
  ばかあ、ばかあ

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 と云つてちやつぽが
 けえつてこねえだら
 それこそ
嬶どんの大かいお目玉
   どうしたもんだべ

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 いたずら風めは
浮気な奴だで
 ちよいとだまして
 つれてはゆくけど
  すぐまた捨てるよ

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 それではちやつぽは
風めの野郎と
逃げてつたんかい
 そうとはしらなかつた
  ああん、あああん

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 ゐなかのおぢさん
泣きながらおつかけた
 おつかけながら泣いた
 なんちうせわしいことだがな
  ああん、あああん

 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるぐる

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 たうたうそれでも
 ふん捕まへたよ
 ふんづかまへたが
帽子はびしよぬれ
  どうしたもんだべ

 それもそのはず
溝渠があつたので
飛び越えようとした時
どうしたはづみか
  ばつたりおつこつただ

 ぐるぐる
 ぐるぐる

風めは薄情で
 それをみるなり
 どこへか行つちやつた
薄情でなくとも
  どうしようもないのだ

 ぐるぐる
 ぐるぐる

 ゐなかのおぢさん
 びしよぬれちやつぽを
頭蓋のてつぺんさ
 ちよこんとのつけて
  にこにこにこにこ

 そして言ふのさ
(これでも親爺の
 ゆづりのちやつぽだ
親爺の頭は
 ほんとにでかかつた
 おいらがかぶると
 すつぽりと肩まで
 はいつてしまふだ
 それを智慧者のうちの嬶どんが
新聞紙まるめて
 つツこんでくれただ
 いまもいまとて
 ぬれてはゐるけん
 かうしてかぶつてゐるまに乾くと
 もともとどほりの
立派なちやつぽだ
 それにつけても風の野郎め
油断はなんねえ
 いつまた、こつそり
 くるかもしれねえ

 これは
 なんでもかうして両手で
 かぶつた上から
年ケ年中
おさへてゐるのに
  かぎるやうだ)

ぐるぐる
 ぐるぐる

(これだけあ
子どもに
 このまた帽子をゆづるときにも
 よく云つてきかせて
  やらずばなるめえ)

ぐるぐる
 ぐるぐる

(なにがなんでも
無事で
帽子がもどつてよかつた

 ぐるぐる
 ぐるぐる
 ぐるり
 ぐるり
 ぐ……る……り……

――走馬燈、ぴたりととまつた

(『土の精神』/
 素人社書屋/1929年)


走馬灯、走馬燈(そうまとう)とは・・・
内外二重の枠を持ち、
影絵が回転しながら写るように
細工された灯籠(灯篭)の一種。
回り灯籠とも。
中国発祥で日本では
江戸中期に夏の夜の娯楽として登場した。
俳諧では夏の季語。
(出典:ウィキペディア)
だそうです。  


人生を振り返るときに使われる
走馬橙だが、
ぐるぐるまわるなかに次々と
現れる風景が、
風の中に表れる、という
ところに素朴な味わいがある。

妻「ところで、一番『ぐるぐる』って
  歌ってるパートはどこだろうね。」
父「いつか数えるか。意外とセカンド
  だったりして。」


おわり。

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