大きな声で言うまでもないが
大学生の本分は学問である。
筆者も大学三回生の後半ともなれば
大学図書館に入り浸ったものである。
父「ま、視聴覚コーナーに入り浸って
男声合唱のLPを聴きまくった
だけでしたけどね。」
妻「へー、勉強熱心だったんだね・・・。
ってだから練習も
ちょくちょく遅れてきてたんか!」
父「まあまあ、そんなことは、
練習の5分の休み時間に
ひとり会場を抜け出して
学食に駆け込んで
カレー食って
何食わぬ顔をして
(カレーは食った。)
練習に戻ったことに比べれば
大したことないですよ。」
妻「あんた、大学生のころ
一日7食食ってた
って豪語してたの思い出したわ。」
もう過ぎたことである。
話を戻すと、
なぜそんなに大学図書館の
視聴覚コーナーに
通い詰めたかというと
多田武彦のLPが一枚だけ
所蔵があったのである。
『日本の男声合唱名曲選
「多田武彦作品集/柳川風俗詩/雨」』
(東芝EMI)である。
ただの一般大学なのに、
奇跡の一枚である。
今、手元には
同じ内容(と思うが)のCDがある。
「柳川風俗詩」関学グリー
【1967年録音】
「『雨』より」関学グリー
【1969年録音】
「中勘助の詩から」関学グリー
【1971年録音】
「雪と花火」同志社グリー
【1971年録音】
60年代録音のものは、
軽やかな響きや
若々しさに溢れた音色。
70年代録音のものは、
そこはかとない色気も加わり
さらに円熟味を増した音色。
LPをセットし、針を落とし、
ライナーノーツを読みふけった。
アナログ盤だけに、
自分の1回1回の「聴く行為」が、
盤の音をまろやかに育てるとともに、
音を少しずつ
すり減らしていくということに
つながる、という
残酷だが直視するしかない
現実を見つめて
涙したものだった。
さて、その中でも
心に残ったものの一つが
『中勘助の詩から』である。
「ほほじろの声」
中勘助
ほほじろの声きけば
山里ぞなつかしき
遠き昔になりぬ
ひとり湖の
ほとりにさすらひて
この鳥の歌をききしとき
ああひとりなりき
ひとりなり
ひとりにてあらまし
とこしへに
ひとりなるこそよけれ
風ふきて松の花けぶる
わが庵に
頬白の歌をききつつ
いざやわれはまどろまん
ひとりにて
(『しづかな流』岩波書店/1932年)
中勘助は20代後半、
長野県の野尻湖畔に
静養していたとのこと。
この詩はその時の
風景を詠んだ詩との
ことだが、やはり寂しさ
孤独感、思うままにならぬ
自分の来し方行く末が
思いやられる内容である。
小倉百人一首の
山里は
冬ぞ寂しさまさりける
人目も草もかれぬと思へば
源宗于朝臣(三十六歌仙)
をいつも連想していた。
時は過ぎて、
2005年夏。
所用があって、
静岡市に遠征した。
最終日、
早く帰りたがる
仲間を振り切り、
ひとり、心に決めていた
小旅行にでかけた。
時はすでに夏の夕暮れ。
そう、
静岡市郊外の藁科にあるという
中勘助文学記念館である。
http://www.city.shizuoka.jp/000_002241.html
HPによるとここに滞在していたのは
1943年頃とのこと。
「ほほじろの声」よりも後の時代だが、
さびれた風景を感じたかったのである。
何しろ、地元に人に道を訊きながら
いっても
よく知らない人が殆どという
ひっそり感がすごかった。
そんなことを思い出し、
この原稿を書きながら、
ひょっとして
多田武彦『藁科』のほうが
ふさわしかったんかいな、・・・
しかし『藁科』は未聴だしな・・・
とネットを検索していたら、
見つけてしまいました。
http://hakumongleeclub.web.fc2.com/12thConcert.htm
やはり、先に足を運ばれていたんですね。
流石です。
まだまだ勉強不足、
詩の旅はまだまだ続く。
おわり。
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