筆者が所属する
男声合唱団の
不動のベース、
人生の大先輩I氏の
再登場である。

先日
いただいた音源に
『在りし日の歌』も
収録されていた。
ありがとうございます。


噂はきいていたが、
音楽を聴くのは初めてだ。
一聴して、叫んだ。
なんという曲集だ!!
すぐに楽譜を買い求め
二度見する。

詩もメロディーも
衝撃的な「骨」
クリアした後に、
まさかこんな風景が
展開するとは・・・。


「また來ん春……」
である。


「また来ん春……」

   中原中也

また來ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が來たつて何になろ
あの子が返つて來るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫といひ
鳥を見せても猫だつた


最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた


ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

(『在りし日の歌』/
 創元社/1938年)


もう有名すぎて、
語る余地はないかと
思われるがそれはそれ。

中原中也の一生について
書かれた国語便覧を
読み返してみると

1907年~1937年30歳で没。

8歳で弟を失い、
18歳で親友富永太郎を失い、
21歳で父を失い、
詳細不明だが弟を失い、
29歳で長男を失い、
精神が不安定になり入院、
30歳で自身を失い、
31歳で二男を失う。


身近なもの、大切なものを
次々と失う喪失感たるや
言葉を失う。

明るいながらも
退廃と虚無感にあふれた
青春の詩たちを産み出した
詩人と解説にあった。


人生の中で、
出逢いと
希望と
決意と
獲得にあふれる
青春の時期である。

しかしながら、
それとは反対の
「喪失」というベクトルに
満ちあふれた境遇にあって、
なお生命をかけて
言葉を紡ぎ出した詩人の
魂に脱帽である。

三好達治は
「詩を読む人のために」
(至文堂/1952年6月)
の中で、中原中也について
いろいろ厳しい口調で
評している。

ざっくりいうと
・生来のつむじまがり。
・自然に生まれ出る諧調を
 つねにぶち壊し、読者に
 たたきつける。
・作品そのものが
 まどろっこしい
 ものだっただろう。
・しかしそれが中也の
 世界観であり
 個性である。


という感じである。
えらい言われようだな、と
思っていたのだが、
ふと前に
日本近現代文学の
研究者である
さる教授とお酒をご一緒する
機会があった。
その時に交わした話を
思い出した。

(当時話題になった映画
「ソーシャルネットワーク」
〔●●ィスブック創始者の話〕
をみての感想)

私「なぜザッ●―バーグは
  あんなに信頼していた
  親友、それも
  一緒に苦労した会社を
  立ち上げた親友を
  裏切り、彼を会社から
  追い出したのでしょうか。
  人は、そんなに簡単に
  割り切れるものでしょうか。」


教授「信頼していたからこそ、
   裏切れたのでは
   ないでしょうか。
   あいつなら、
   俺の気持ちもいつか
   わかってもらえると。

   信頼していなければ
   表面的につきあって、
   つかずはなれずの関係を
   保つはずですよ。


   そして事態は
   何も好転しない。」

私「おお、
  信じていればこそですか。」

酔っぱらっていたので
こんな内容だったと思うが、
同時期に生きた三好達治も、
中原中也を好敵手と認め、
その才能を愛し
(自分の作風とは違うが)
厳しく評することが
できたのだと。
話が繋がった。

すでのこの評論が出たときは、
中也はこの世を去っていた。

死せるものだからこそ、
美辞麗句ではなく
本心からの言葉を
手向けとして、
贈ったのだと信じたい。


そんなことを
思いめぐらせながら
4-4-3-3の美しき
ソネット形式の
この詩と
心に染み入る曲を 
じっくりと味わいたい。

おわり。


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