第1部
中也が書いた「月」の
違った風景の詩。
「湖上」
中原中也
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から
滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに
聞こえませう、
――あなたの言葉の
杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら
接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや
拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手は
やめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
(『在りし日の歌』/創元社
1938年4月)
いやあ、月の光りの中で
2人きりで舟をこぐ。
ロマンチックだ。
こんな月の光の中でなら
二人の嘘もよくわかるだらう。
・・・と、伊藤整と錯綜
してきた。
やはり月の光の下では、
何かがおこるようだ。
第2部
違った視点で中也を読む。
『汚れちまった悲しみに…
中原中也詩集』
(集英社/1991年1月)
若者を意識した詩集。
有名な詩は
ほとんど入っている。
解説が、あの秋元康。
その方が、
中学生の頃の
不器用な恋愛の
思い出を語っている。
それがきっかけで
中原中也を
読むようになった、
とあった。
人それぞれに
影響を与えて、
詩人の魂は
受け継がれていくのだ、
と納得した。
異論はいろいろ
あるかもしれないが
「影響」という事実は
誰も消しあっては
いけないと思う。
堀口大學が、
三好達治について
読んだ詩
「達治詩人百朝忌に」
(『月かげの虹』/
筑摩書房/1971年)
というのがある。
※大人の事情により、黙読。
この詩は、
『詩人は死なない。
哀しむな、
涙は、酒で洗おう。
そして達治の墓の上で
輪になって踊ろう』
という趣旨の詩。
覚えている人がいるかぎり、
語り継ぐ人がいるかぎり、
活字に残す人がいるかぎり、
詩人は、
不死鳥のようによみがえる。
だから
私は多田武彦の手によって
うみだされた
近代詩のうたを
仲間と
歌い続けたい。
おわり。
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