また帰ってくる。
達治に帰ってくる。
多田武彦<公認サイト>より
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/neo-rkato/yaro/20140208tadatake_ryakureki.html
多田武彦は、
映画監督を目指して
いたことも周知の事実である。
だからだろうか
多田武彦の作品には、
映像のイメージが
浮かんでくるようなハーモニーが
随所に感じられる。
筆者も歌っていて、
きらめく映像が眼前を通り過ぎるような
眩暈のような感動を何度も味わっている。
まるで・・・
居酒屋で独り酒をふみつつ、
あるいは
静まり返った自宅の居間で
気が置けない人と
さしつさされつ飲む二人酒。
いいねえ。
そんな風景に多田武彦の曲は
似合うと思う。
妻「酒なんか飲んで。
練習はどうした。
抜けてきたんか。」
うーむ。
ま、いいか。
筆者は
自宅では和装こそしないが、
八海山の一合枡と臙脂(えんじ)色の
江戸切子グラスを常備し、
卓袱台で多田武彦を聴きながら
お酒を嗜むのを
至上の幸福と感じているのだ。
父「ああ、これで
和服の素敵な方が
ま、おひとつ。なんて
なったらサイコー!」
妻「・・・卓袱台の
もうひとつの使い方、
教えてやろうか。
巨●の星の星●徹を
思い出しとけよ。」
父「本当に妻のような
おやびんとお酒が
飲めて最高です。
『富士山』がお好み
でしたよね。
まるで~くれな・・・」
妻「おやびんて言うな~!
もう遅いわ!」
・・・今宵の月も
にじんで2つに見ゆる。
そんな夜。
閑話休題。
まさに映像が浮かんで
仕方がない曲。
せまりくる人間の狂気に
打ち勝つ自信ができるまで
歌える自信がないこの曲。
難曲集『追憶の窓』を
難曲たらしめるこの曲。
「昨日はどこにもありません」
三好達治
昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の抽出しにも
こちらの机の抽出しにも
昨日はどこにもありません
それは昨日の写真でせうか
そこにあなたの立つてゐる
そこにあなたの笑つてゐる
それは昨日の写真でせうか
いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日はどこにもありません
昨日の部屋はありません
それは今日の窓掛けです
それは今日のスリッパです
今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと
いいえ悲しくありません
何で悲しいものでせう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか
昨日はどこにもありません
そこにあなたの立つてゐた
そこにあなたの笑つてゐた
昨日はどこにもありません
(『測量船』
/南北書園/1947年1月
「測量船拾遺詩十四篇」
を加えて出版された)
この詩と曲を味わうのに、
イチ押しの本がある。
「天上の花―三好達治抄―」
萩原葉子の著(新潮社/1979年)。
作者はあの達治の師匠
萩原朔太郎の娘。
天上の花とは
彼岸花のことだそうです。
猛毒を持つ。
しかし純粋な魂。
あかるい兆し。
など。
これを読むと、
三好達治の狂気の
すさまじさが
ひしひしと伝わる。
あれほど恋い焦がれた
萩原アイとの同棲生活を
1944年5月~1945年2月まで
という短い期間で、
一年ももたずに破綻させて
しまった。
詳しい内容はお読み
いただければと思い
省略するが、
執念ともいえる
達治の愛と、
女性を理想化し愛しすぎた
ゆえの暴力と破滅の
三国での日々。
売れない詩ばかり書いて!
となじるアイに、
乱暴狼藉、今でいう
ブチ切れる達治。
高い着物を持ってきたが、
着る機会もない
田舎の暮らしと
貧しさに不満を募らせ
達治をなじるアイ。
勿論
達治にもアイにも
言い分があったろう。
今の倫理観で
なじるつもりは無い。
しかし、
筆者には
この歌は、
天上の花を
踏まえた映像が
浮かんでくるのが
止められない。
★曲調はリフレインの
繰り返して、達治の
心の中で繰り返される
狂気のリズム。
★福永武彦風にいえば
「ノオ、ノオ、ノオ!」
と叫びながら三国の家の
中を捜しまわる達治が。
★あちらの箪笥の引き出しにも
「ノオ。」
アイが大切に持ってきた
高い着物。
いったん逃げ出そうとして
駅まできたアイが、
この着物を達治に奪い返され
また家に戻ってくる一面が
あった。
★こちらの机の引き出しにも
「ノオ。」
達治の書斎の引き出しに入って
いたのは、売れない詩。
アイになじられた詩。
★すべての風景は今日の風景。
探しているのが昨日の風景。
アイがゐた風景。
でもどこにもない。
★アイに逃げられた後、
達治は、何も買って
やれなかったアイのために、
でも現実にはいないアイの
ために、何をしたか。
「ノオ、ノオ、ノオ。」
★続きは・・・・。
おわり。
にほんブログ村
コメント