アンコールピースとして
登山家の愛好歌として
こよなく愛される
この曲について。

「雨後」
  三好達治

一つ また一つ
雲は山を離れ
夕暮れの空に浮かぶ
雨の後
山は新緑の襟を正し
膝を交えて並んでゐる
峡の奥 杉の林に
発電所の燈がともる
さうして後ろを顧みれば
雲の切れ目に 鹿島槍
(『山果集』四季社/1935年)

手持ちのCDのライナーノーツに
よると、
雨後の風景は
旅館の「窓」から見た風景。
だからこの曲集にふさわしいの
ですね。

この詩のモチーフである
雲。

有名な百人一首から。

めぐりあひて
見しやそれとも
分かぬまに

雲がくれにし  
夜半の月かな
「紫式部/新古今集」

(大意)
久しぶりに
めぐり逢って見たのが
確かであるかどうか、
見分けがつかないうちに
あなたは慌ただしく
帰ってしまった。
雲の間に
隠れてしまった月のように。

日本の古典文学の
作法では
雲は、別れ、
そして死の象徴。
 
まだ不遇を
かこっていた時代の
達治の視界は雲だらけ。
でもこの詩の舞台になった
時だけは瞬間
雲がきれた、と感じたのでは
ないか。

もうちょっと年代をくだった
例をあげると、
ジブリの名作
「天空の城ラピュタ」(1986年/日本)。
【参考サイト:映画.COM】


竜の巣という分厚い雲に
守られていたラピュタは、
「死んで」いながら
王の帰りを待っていた。
そして、シータが
復活の呪文をとなえたら
雲が晴れて、
むき出しになったその姿を
全世界にさらしたのだ。
つまり、「死」の世界から
「生」の世界へ戻ってきた。

その後、何がおこったかは
映画を見て確かめて
いただきたい。
としておく。

ちなみに
三好達治は
鹿島槍について
別の詩を書いている。

「発哺温泉にて」

白き馬
郵便物をのせてきぬ
燕むらがる
山の湯の宿

(略)

昼の雲
冬のさまして
動かざる
鹿島槍てふ
藍の山かな

秋たちぬ
人と別るる
旅の日の
沓打茶屋の
きりぎりすかな
(略)
 
(『日まはり』/椎の木社/1934年)

すみません
この10倍くらい
あるので、
鹿島槍のところだけ。
色のイメージなど。

何気ない風景の中に
こめられた
いろんな想い。

おわり。

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村