男声合唱組曲『雪と花火』

『柳河風俗詩』からの
通奏低音が
ずっと鳴っていると
以前別の記事で書いた。
その続き。

長岡の花火を媒体として
江戸の街に響きわたる。


2015年8月初頭、
義妹家族を訪ねて、
新潟の長岡大花火大会を
有料の桟敷席で鑑賞した。

この花火大会は、
1945年8月1日の長岡大空襲の
慰霊や自然災害の復興を願った
『鎮魂』の花火大会である。


最初に、純白の「白菊」という
花火が何発かあがり
会場が皆万感の想いをこめて
見守る。

華々しく散っていく光を
まのあたりにして、
しらずしらずのうちに
涙がこみあげてきた。

と、同時に、
「花火?」
「鎮魂?」
「タダタケ?」
と、一気にミッシングリンクが
繋がった。
そうだ、白秋の
「雪と花火」の終曲だ。


「花火」 
  北原白秋


花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……
パツとしだれてちりかかる。
紺青の夜の薄あかり、
ほんにゆかしい歌麿の
舟のけしきにちりかかる。

花火が消ゆる。
薄紫の孔雀玉……
紅くとろけてちりかかる。
Toron……tonton……
Toron……tonton……
色とにほひがちりかかる。
両国橋の水と空とにちりかかる。

花火があがる。
薄い光と汐風に、
義理と情の孔雀玉……
涙しとしとちりかかる。
涙しとしと爪弾の
歌のこころにちりかかる。
団扇片手のうしろつき
つんと澄ませど、あのやうに
舟のへさきにちりかかる。

花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……
パツとかなしくちりかかる。
紺青の夜に、大河に、
夏の帽子にちりかかる。
アイスクリームひえびえと
ふくむ手つきにちりかかる。
わかいこころの孔雀玉、
ええなんとせう、消えかかる。

(「東京景物詩及其他」/東雲堂書店/1913年)

この曲も、ものすごく有名。

いろんな解釈があると
思われるので、
今日のところは、
両国花火大会の歴史と
白秋の関係について
記述するにとどめる。


白秋が体験したのは、
両国川開きの花火。
このイベントが開催されたのは
享保18年(1733)5月28日と
いわれている。

そのきっかけとなったのが
前年に起こった大飢饉だった。

この年、西日本一帯で、
いなごの大群が発生するなど
全国的な凶作となったほか、
江戸市中にコレラが流行して
多くの死者を出した。

この鎮魂のために8代将軍吉宗は、
翌年にその尉霊と悪病退散を祈って、
隅田川において水神祭を挙行した。
この時、両国橋畔の料理屋が公許を得て、
同日川施餓鬼を行い、
花火を上げたのがはじまりという。
これ以降、川開き初日に
花火を打ち上げるのが恒例となった。


時は流れ、
明治12年(1879)頃
塩素酸カリウムが輸入され
日本の花火も一大変革期を迎えた。

燃焼温度が2,000度以上になり、
はっきりした赤や緑等の色を出すことが
可能となった。
そのため、詩の中に出てくる
「緑」の花火
白秋は見ることができて間もない技術
だったというわけだ。

さらには、
明治30年(1897)8月11日には、
見物客の重みで両国大橋の欄干が落ち、
溺死者、重軽傷者が数十人出るという
大惨事が起きてしまった。
それ以後は橋上に店を出すことも、
たたずむことも禁じられた。
なので、花火を楽しむ白秋が舟にのって
いるのも、自然な流れだったのだろう。

北斎の絵画の中にも、両国大橋に
大勢の見物客が空を見上げている
ものがある。
明治44年(1911)6月の作品とのこと。
さぞかし賑やかな世界だっただろう。

昭和の戦争時の中断を経て、
花火が復活したのは
昭和53年(1978)7月20日。
会場は
第1会場が言問橋と白髭橋の間、
第2会場が厩橋と駒形橋の間、
となった。

ただ残念なことに、
江戸時代から受けつぐ
「両国川開き」が、
地域の住宅の密集状態や
保安距離の関係上、
会場を移し、
名称も「隅田川花火大会」と
変えざるを得なかった。


そのようなわけで、
同じ「花火」でも、
白秋が楽しんだ「花火」と
今日私達が楽しんでいる「花火」は、
すこしニュアンスが違う。

でも、見る人によって花火の形が
違うように、
いろんな立場の人がいろんな気持ちで
みていると思えば、
全く同じでなくていい。


例えば、一緒に花火を見るのを
楽しんでいた恋人が、
分かれてしまった後も、
花火大会を見るたびに
あの人も同じ気持ちで
この花火をみてるだろうか。
なんていう感傷があっても
よいかなと。


そんな歌が現代にもある。

若者から大人まで
幅広く支持されている
DREAMS COME TRUE
というグループの

「あの夏の花火」

という曲があります。
 
アルバム『The Swinging Star』の
2曲目。

「あの夏の花火」


遠くから 胸震わす 音が 響いてくる
蒸し暑い 闇の向こうが 焼けている
閃光が 呼び覚ました
あの夏の花火を

川風が運んだ 火薬の匂いを
人であふれる堤防 はぐれないように
間近で見た10号玉
まばたきを忘れた Wow…


今頃 あなたも どこかで
思い出してるの?

あの日のこと
友達に ひやかされた
もう夏の初めには

2人して鼻と頬だけ 焼けていた
川に落ちる花びらが 消えてく間際に
立てる音がせつなくて
目をそらせなかった Wow…


今頃 あなたも 誰かと
今年の花火を見てるの?

散ってく季節を
一緒に生きて行ける人 見つけた?

残る煙り かすむ大三角
主役うばわれた 8月の星座
Wow… Wow… Wow… Wow…


今頃 あなたも どこかで 思い出してるの?
あの夏の花火を Woo
今年も綺麗ね
あの日と同じように 輝く花達 Wow…

今頃 あなたも どこかで
散ってく季節を生きてる

今頃 誰かと

(作曲:西川隆宏/中村正人 作詞:吉田美和/1992年11月14日)


これはまた違った視点で
花火が似合う名曲です。

再現不可能性の代表的な
存在としての花火。

一度きりで散ってしまうからこそ
おのが人生、人の世の
はかなさと素晴らしさが
感じられ、
人の心を打つ。

ほんに心に染み入る。


なつかしく、うつくしく。

気の置けない人と
ただただ
酒をふみつつ、
藍色の空を眺めたい。


おわり。

<参考>
両国花火資料館HP

http://sumidagawa-hanabi.com/shiryokan.html


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歌詞の掲載については、
「利用許諾契約を締結している
UGCサービスリストの公表について」
http://www.jasrac.or.jp/info/network/ugc.html
をご参照ください。
当ブログはライブドアブログで
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