練習曲として、
多田武彦の男声合唱組曲
『ソネット集・二』
から「夢みたものは…」
を歌ったことがある。
「夢みたものは…」
立原道造
夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊をおどつてる
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
(『優しき歌Ⅱ』角川書店/1947年3月)
立原道造(1914‐1939)は26歳で
結核でなくなった悲劇の人。
今私の手元にある
岩波文庫の立原道造詩集を
ひもといてみても、
4-4-3-3の
ソネット形式の
繊細でぎりぎりまで
言葉を磨いた詩人の
想いが伝わってくる。
混声合唱「優しき歌」(小林秀雄)
混声合唱「風に寄せて」(尾形敏幸)
など、若かりし頃、
その繊細な世界に親しんだのを
思い出す。
馬齢を重ねて
すっかりこの詩人よりも
年上になってしまった
自分でも
改めて多田武彦の
繊細なメロディーに触れ、
青春時代を思い出せたかの
ようだった。
この詩を読んで
真っ先に思い浮かべたのは
堀口大學訳詩「月下の一群」
(第一書房/1925年9月)
の2曲目「輪踊り」である。
(作曲は南弘明)
例の「世界中の
娘さんたちが・・・・
輪踊りを・・・(略)」
である。
もともとの詩は
フランス人の
ポール=フォールという人。
「LA RONDE」という詩とのこと。
どちらも
かなうかかなわないか
わからないが、
夢みる価値がある
夢である。
もっとも立原道造の
場合のこの夢は
迫りくる死への予感が
あったのかもしれない。
「夢」や「愛」という
無限で自由なものである
もの(不可算的存在)でも
加算的なものとして
制限のあるなかに
表現している(ひとつの・・・)
ところが
強く胸を打つ。
この詩は、
1937年から1938年8月頃までの
間の作だろうというのが
残された原稿用紙で
推定されているという。
1938年の3月には微熱と
疲労に悩まされて
この後いろんな病気を
発して死への道を
進んでしまったというので
悲劇としかいいようがない。
しかしながら同時代を生きた
丸山薫や三好達治に
その才能を認めらたなかで
精いっぱい自身の
作品を書き続けられたのだから
幸せだったのかもしれない。
戦後、三好達治が発表した
評論「詩を読む人のために」
(至文堂/1952年6月)
(岩波文庫/1991年1月で
今も販売されている。)
の中でも、
辛口の評論の中でも
その才能は絶賛されている。
思い起こせば
高校の国語便覧
(懐かしい響きですが!)
にも掲載されて
いるくらいの、
いわゆるひとつの
有名な詩である。
ほかにも有名な作曲家の
ものもあるが、
それとは違った味わいが
あったのが印象的だった。
同じ詩でも、
異なるメロディーに
巡り合える。
これもまた合唱の醍醐味。
おわり。
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