いうまでもないが、
男声合唱に親しむ者にとって
一度は通る関門ではないだろうか。
先人の様々な解釈や
名演奏も多々あるので、
もう語る余地はないかも
しれぬが、自分なりの
体験や参考資料を
書き留めておきたい。
特に多田武彦伝説の
はじまり、第1曲目の
「柳河」について。
「柳河」
北原白秋
もうし、もうし、柳河じや、
柳河じや。
銅の鳥居を見やしやんせ。
欄干橋を見やしやんせ。
(馭者は喇叭の音をやめて、
赤い夕日に手をかざす。)
薊の生えたその家は、
その家は、
旧いむかしの遊女屋
人も住まはぬ遊女屋。
裏のBANCOにゐる人は、
あれは隣の継娘。
継娘。
水に映つたそのかげは、
そのかげは、
母の形見の小手毬を、
小手毬を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。
もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと。
あれ、あの三味をきかしやんせ。
鳰の浮くのを見やしやんせ。
(馭者は喇叭の音をたてて、
あかい夕日の街に入る。)
夕焼、小焼、
明日天気になあれ。
「一点鐘」
★★文学という視点から。★★
詩は郷里の偉人、北原白秋。
水郷柳河の雰囲気を、
違う視点から眺めるによい
物語がある。
「廃市・飛ぶ男」
(福永武彦/新潮社/昭和46年6月)
短編集であり、その中に収められている
「廃市」が柳河が舞台である。
映画にもなった。
卒業論文を仕上げるために
この街に滞在した大学生の主人公の
登場は、掘割に支配された
時が止まったような
水郷の街に水の波紋ような
動きをもたらしていく。
愛、男女のすれ違う想い、
水郷のふるい街に沈んでいくもの、
せつなくて、悲しくて、
そして美しい。
一読の価値あり。
余談になるが、1997年5月25日(日)。
当時所属していた男声合唱団の
福岡での演奏会を終えた次の日に、
夕方の飛行機までの時間を活用して
電車で45分くらいの距離の柳河を
友人とともに訪ねてみた。
船頭さんの白秋童謡メドレーに
酔いしれながら、お堀めぐりを
楽しんだ。
そこには、
北原白秋や福永武彦が
見ていたであろう景色が、
そのまま残っており、
はっと息を飲んだ。
詩の舞台になった景色を
実際に見ることの醍醐味を
はじめて知った。
思えば、この体験がもとで
これからは、
できるかぎり、
作品の舞台を訪ねる旅に
出ようと決意したのである。
「二点鐘」
★★伝承と歴史という視点から。★★
2015年の年末、
東京スカイツリーに出かけた。
そこに柳川物産展のブースが
あり、伝承「柳川手毬」が
展示されていた。
赤を基調としたカラフルな
手毬。
そこで働いていた柳川手まり
保存会の素敵な女性に
話しかけ、
北原白秋と福永武彦の話題で
散々盛り上がった。
かつて、柳川は、正月に
手毬を巻いて家の女の子(娘含む)
にあげることがういういしい
新嫁のつとめだったそうである。
長寿のお祝いでもあったそう。
う~む。深いぞ。
そこで、すっかり仲良くなった
くだんの女性に、
「赤い毛糸でくくるのじゃ
涙片手にくくるのじゃ」
のことをはなしたら、
実演してくれました。
20分かけて
赤い毛糸で一心不乱に手毬を
創る姿を。
その真剣なまなざし。
光る汗。
まつ毛の先に光るもの。
言葉を手毬に
こめて。
こめて。
こめて。
明治時代をさかいに
すたれようとしている
この伝統。
しかし、
ささやかながらも
「語り継ぐ人」を
介して
私の心にも
あたたかな
想いがとどいた。
「 棺を蔽いて、
事定まる。」
(「晋書」劉毅伝より)
もうなくなってしまった人がいる。
しかし、
その苛烈な人生に懸けた
誇りを受け止め、
語り継ぐのが、
生きているものの義務である。
それが人間という存在が介在する
本当の「歴史」ってやつではないか。
そう思うと、
無乾燥な文字の羅列や
年表などの無情な「無情な情報」が
ありとあらゆる「有情な物語」に
思えてくるから
俄然、歴史を調べてくることが
面白くなってきた。
この川下り、水面、丸い手毬。
東京に上京して花開いた
北原白秋の次の物語、
男声合唱組曲『雪と花火』への
通奏低音となって
つながってくるのが
また面白い。
その話はいずれまた。
おわり。
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