男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』を
歌った。
涙が出るほど心に染み入る曲であり
演奏となった。
そこで、少し調べたことをまとめてみた。

男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』
1「冬野」
2「最後の雪に」
3「春愁」
4「天上沢」
5「牧場」
6「かけす」

歌詞(詩)については、
下記リンクを参考にしてください。
非常に参考になります。

多田武彦〔タダタケ〕データベース


解説「尾崎喜八の詩から」
花咲ける孤独の巻に
「冬野」「春愁」「かけす」 を発見。

旅と滞在の巻に
 「天上沢」「牧場」を発見。

尾崎は、比較的裕福な家庭に生まれ、
当時は入手困難な英訳の
一流詩人に親しんだ
青年時代だったとのこと。

高村光太郎に出会い、
それまでのディレッタント的な
食うに困らぬ人生に
別れを告げたのだという。

そのため、詩人としての出発点は、
自然と勤労への讃歌に
その特徴があった。

結婚前は、理科と英語と作文を
得意とした。
大正13年に結婚し、
農村生活を始めてから
文学と畠仕事に専念した。

昭和に入ってから登山に目覚め、
自然地理学や気象学を
学んだという。
まあ、勉強家だったんですな。

だからやたらと
山に関する詩が多い。

はたらくよろこびやたくましさを
うたった詩も多く、
戦時中の国威発揚に
利用されてしまったことも
悲しい歴史として
とらえなければならない。  

戦争詩人として、
心平、達治、喜八は
必ず矢面にたたされてしまうが、
がしかし。


十年の沈黙をやぶって、
昭和30年にふたたび
詩人として復活。  
詩集『花咲ける孤独』を発表。

空襲で家を焼かれ、
友人や親戚の家を転々と
しながら、失意のうちに
生きていたが、幸運にも
長野県富士見の別荘の一部を
借りることができた。

世を忍ぶ隠遁生活に
たどりついて、
ささやかななかに 
静かな諦念の中にも、
なお生への肯定と深い感謝の
気持ちを詠み込んだ渾身の作。

ですから 「冬野」「かけす」「春愁」は
復活後の詩。
多田武彦の曲順の選定は絶妙。
   
「冬野」について
今、野には・・・
どこ?ここ?という疑問はごもっとも。
昭和20年5月に空襲にあい、
さまよいあるき、
松林と畑の続く、
見渡す限り山のみえない
風景に心うたれたという。

見馴れた武蔵野とちがい、
何もない虚無的な空間。
同年10月から 昭和21年8月の間の
冬の千葉県三里塚附近でこの風景を見る。   

今現地に行っても、面影はありません。
成田空港だから。

記憶の中にしかない冬野は、
私たちの歌の中にしか
再現できないんです。
さ、頑張ろう。

最初の白い星が一つ
最も高い鍵を打つ・・・


「高い」に着目すると北極星。ポラリス。北辰。
ただし代替可能性あり。
色は黄色。天の中心。

「白い」に着目するとシリウス。天狼星。
恒星の中で一番明るい。
この時期では木星の次に明るい。
古代エジプト語で「熱い」が語源。
色は青白。
 

さだまさしの作曲で
『天狼星に』という歌があります。
若き女性に愛する人ができ、
祝福されない中で夜汽車にのり
家出する歌というものです。
歌のクライマックスで、
「窓から見上げる夜空にひときわ
輝く星の名は知らないけれど
青い光にかけて誓う
何があってもくじけない。」
という歌詞があります。
 
「冬野」が決意表明の歌で
あるとすれば、
天狼星に軍配があがるかな。
皆様はいかがでしょうか。
 
『北極星の子守歌』
・・・優しい温かさ。
『天狼星の冬野』
・・・襟を正す厳しさと再起の決意。

どちらも名曲ですね。


「春愁」について
中間部の転調部分。   
つひにまにあわなかったことが 
悔やまれる・・・ 

再び春の・・・と、    
振り返ることができるまで
10年かかった。
でもあきらめないぜ、俺は。
という決意が、
この詩が収められた詩集の
あとがきにみられます。
その意を汲んで
多田武彦はこのように
作曲したのかなと。


春愁の後日談。
その後、尾崎喜八は
このような詩を書いています。
================
 『回顧』
  (前略)
  こうして富まされたその晩年を
  在りし日への愛と感謝と郷愁で
  装うことのできる魂は幸いだ。
================
いろいろあったが、もう受け入れた。
老いたる詩人の歌う詩を
とくと見よ、若者よ。
老人を片隅に追いやる戦後の
風潮にちくりと棘をさしてやるわい、

との境地に至った詩だそうです。

なんだか春愁でみられた
ゆらぎもないですね、
ここまで立ち直った
喜八の精神力に脱帽です。


「かけす」について
秋の風景にかけすが
二羽三羽、
五羽六羽と・・・。

しみじみと秋の風景が
目に浮かぶ。

かけすは、
懸け巣が語源とも。秋の季語。
繁殖期には
つがいブラス助っ人が
つくこともある。
だから、三と五という
割り切れない数字が
出てくるんですかね。
  
この詩を読むと
枕草子の秋の段、
『烏が三つ四つ、
二つ三つ・・・』

に通じるものが。

かけすは、他の動物の音声や
物音を真似るのが得意。
人間の真似も
得意だったとのことです。
最後に、
詩の中の掛詞懸詞の可能性。

『かり』・・・・
 仮、雁、狩り、刈り、借り

さて何だろう。

おわり。

参考文献
「尾崎喜八散文集3花咲ける孤独」
(昭和34年発刊)
「尾崎喜八散文集2旅と滞在」
(昭和34年発刊)
「日本の詩歌17堀口大学/西条八十/村山槐多/尾崎喜八」
(昭和43年発刊)


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村